【柳生街道(滝坂の道)其の一】
新池から山道を歩き、道路を横断して階段を上りました。
その後、小橋を渡り、蛇行した山道を歩きます。
しばらくすると、フェンスのはられた小さな広場のようなところに出ました。
地獄谷石窟仏です。
9時36分
中央のお釈迦様は奈良時代後期の作といわれていて、
その両隣りの薬師如来、十一面観音は室町時代ごろに彫られたようです。
そんな時代から、今までよくここまで奇麗に残されてきたものです。
苔に覆われてはいますが、石仏の色と苔の緑が相まって、なかなか神秘的なものです。
周囲にはフェンスがはり巡らされ、近くに行けないようになっているのですが、
それらは最近設置されたもののようにみえます。
石を切り出した奇麗な壁面に掘られた石仏。確かに、落石などあってもおかしくない場所にあります。
事故防止の防護柵だと思われますが、石仏の維持のためでもあるのでしょう。
でも、それでは今まではどうやって維持してきたのでしょうか?
ほったらかしで、訪れる人の触れるがままだったのでしょうか。
ただ山を歩きに来たボク達には、これからの石仏の行く末まではわかりません。
あまりにも厳重な防護柵に、やや辟易しつつ、先へと進みます。
低木の茂った、平たんな道を歩いていると、向かいから来た人とすれ違いました。
わりと有名な柳生街道ですが、ここに来て初めて出会った人間です。
視界が開け、ウネウネとした下り道
山腹の道をなにごともなく、静かに歩きます。
9時52分 小橋
小橋を渡り、渓谷の道を歩きます。
視線を谷の向かいへとやれば、大きな氷柱が目に付きます。
どこかから滲み出した水が、草をつたい、人の背丈ほどもある氷柱へと変ぼうしていました。
街道の初めの方でも、よく氷柱をみかけましたが、朝夕極端に冷え込むのかもしれません。
わりと急な坂を上ります。
その後、軽く下り、そこから階段を上ると、稜線のような平たんな道に出ます。
開放感のある、平たんな道を歩いていると、休憩するのにちょうど良い場所がありました。
道から少しそれ、小高くなっている場所なので、ここでお昼休憩をとることにしました。
日差しは心地よく、寒さなど感じさせないほどです。
10時10分~10時45分 お昼休憩
この日は前日に、大阪市内の四天王寺近くにある「天王寺源氏堂」さんにて名物カメカステラと、
赤飯を購入し持って来ていました。
ここの赤飯は絶品で、わざわざ買い求めたくなるほど美味しいのです。
カメカステラもやわらかくておやつには最高でした。
石切峠
休憩場所からすぐ、道路に出ます。
ここが石切峠で、このまま円成寺(この先5.5km)へと向かってもよかったのですが、
どうせここまで来たのだからと、近くの芳山(ほうやま/518m)へ上ることにしました。
道路を右折し、少し先に赤いペンキの塗られた木があり、そこから左手の山へと入ります。
道路に出たところにあった分岐道標(300m先には峠の茶屋があるようです)
芳山へは、テープをたよりに黙々と進みます。
途中、何か所か他の道と合流していたり、石碑があったりしていてやや複雑な登山道となりますが、
ある程度の勘で先へと進みます。
10時57分 石碑(他の道と合流)
10時59分 合流地点
11時07分 芳山
三角点がありますが、地味な山頂です。
ここまで来たからには、芳山二尊石仏も見にいくことにしました。
一般的には石切峠の先にある、峠の茶屋付近から山道へと入れば、二尊石仏へと行けるようです。
ボク達は芳山へ先に上ったので、二尊石仏が後回しとなりました。
やはり分かりにくい道で、標も無く困っていたところ、向かいから来た年配の男性に道を教えてもらいました。
11時15分 芳山二尊石仏
芳山からやや北東へと少し下り気味に歩いた先に、石仏はありました。
石仏のある空間は広々としており、荘厳な雰囲気を作り出しています。
石仏からは複雑に山道がからみあっていて、
どこを歩いているのか判然としないまま、方角でいうと芳山から真東にある田園地帯へと下りました。
11時30分頃
田園地帯を南へと歩き、田をまくように東北東へと向かいます。
11時42分 分岐
分岐を右へと折れ、山間の道を進みます。
山間部の田園風景。これは柳生の隠田(かくしだ/年貢の徴収を避ける違法田)ではなかったか?
などと人目に付かなさそうなこのあたりの田を見ていて、空想が広がりました。
なにより、民家も無く、人もいませんから。
11時55分 道路
道路に出て来ました。
右(南)へと折れ、進みます。
しばらく歩くと、左手に道標があり「東海自然歩道」の入り口となっていました。
12時03分
ここからの道は、とてもわかりやすく、のんびりと歩くことができます。
気をつけることは「東海自然歩道の道標を見落とさない」ということだけです。
12時38分 道路 茶屋
滝坂の道も後半、少しくたびれた気分でだらだらと歩きます。
30分もすれば、道は石畳となり、国道369号線へと出てきました。
道路わきには茶屋があり、わらびもちやうどんを楽しめるようです。
ボク達も入ろうかどうしようか悩みましたが、必要に迫られてはいなかったのでやめておきました。
(風情のある、ゆっくりできるお店のようでした)
茶屋からすぐのところに、円成寺の入り口があり、庭園へと入ります。
お寺の中も見たかったのですが、観覧料が必要そうだったのでやめておきました。
円成寺の門
さて、ようやく柳生街道(滝坂の道)も終わり、バスに乗って帰ろうとしたのですが、
1時間以上待たなければバスがこないことがわかりました。
「次のバス停まで歩こう」
「それで、まだ時間があるようならその先へ向かっても良いし」
話し合った結果、帰路方向へと369号線をバス停を経由しながら歩くことにしました。
凍った池。うめ子はこんなことをやっているのに、ボクがしようとすれば怒られました。
しばらくは、呑気に道路歩きも楽しく、次々にバス停を通過して歩きました。
途中「乗る意志を見せなければならないバス停」などというものがあり、それが立て続けに3か所あります。
「人がいない場所だから、きちんとしたバス停は無いんだね」
「確かに、こんなところでバスに乗る人もいないだろうね」
大慈仙バス停から平清水口バス停、そこから「乗る意志を見せなければならないバス停」を3つ通過したあたりで、
ボク達の乗るバスが来るまで20分ほどの余裕がありました。
20分もあれば、次のバス停までは軽く歩けるなと、ボク達はさらに先へと向かいました。
これが重大な判断ミスだと気付くのに、そう時間はかかりませんでした。
なにせ、歩いても歩いてもバス停が見えてきません。あたりには民家もなく、景色の良い峠道です。
さすがに動揺し、やや早足となり、小走りとなり、ついには駆け出すほどの焦りようとなりました。
まだのんびりしていた辺り 14時08分 下中の川バス停
必死の思いで時間ギリギリにバス停に到着し、バスに乗ることができました。
こんなに焦った山歩きは久しぶりです。わりと楽なコースだったはずなのに、激しい疲労感に襲われました。
でも、いつもそうですが、満足のいく山歩きでした。
それではまったねー。
新池から山道を歩き、道路を横断して階段を上りました。
その後、小橋を渡り、蛇行した山道を歩きます。
しばらくすると、フェンスのはられた小さな広場のようなところに出ました。
地獄谷石窟仏です。
9時36分
中央のお釈迦様は奈良時代後期の作といわれていて、
その両隣りの薬師如来、十一面観音は室町時代ごろに彫られたようです。
そんな時代から、今までよくここまで奇麗に残されてきたものです。
苔に覆われてはいますが、石仏の色と苔の緑が相まって、なかなか神秘的なものです。
周囲にはフェンスがはり巡らされ、近くに行けないようになっているのですが、
それらは最近設置されたもののようにみえます。
石を切り出した奇麗な壁面に掘られた石仏。確かに、落石などあってもおかしくない場所にあります。
事故防止の防護柵だと思われますが、石仏の維持のためでもあるのでしょう。
でも、それでは今まではどうやって維持してきたのでしょうか?
ほったらかしで、訪れる人の触れるがままだったのでしょうか。
ただ山を歩きに来たボク達には、これからの石仏の行く末まではわかりません。
あまりにも厳重な防護柵に、やや辟易しつつ、先へと進みます。
低木の茂った、平たんな道を歩いていると、向かいから来た人とすれ違いました。
わりと有名な柳生街道ですが、ここに来て初めて出会った人間です。
視界が開け、ウネウネとした下り道
山腹の道をなにごともなく、静かに歩きます。
9時52分 小橋
小橋を渡り、渓谷の道を歩きます。
視線を谷の向かいへとやれば、大きな氷柱が目に付きます。
どこかから滲み出した水が、草をつたい、人の背丈ほどもある氷柱へと変ぼうしていました。
街道の初めの方でも、よく氷柱をみかけましたが、朝夕極端に冷え込むのかもしれません。
わりと急な坂を上ります。
その後、軽く下り、そこから階段を上ると、稜線のような平たんな道に出ます。
開放感のある、平たんな道を歩いていると、休憩するのにちょうど良い場所がありました。
道から少しそれ、小高くなっている場所なので、ここでお昼休憩をとることにしました。
日差しは心地よく、寒さなど感じさせないほどです。
10時10分~10時45分 お昼休憩
この日は前日に、大阪市内の四天王寺近くにある「天王寺源氏堂」さんにて名物カメカステラと、
赤飯を購入し持って来ていました。
ここの赤飯は絶品で、わざわざ買い求めたくなるほど美味しいのです。
カメカステラもやわらかくておやつには最高でした。
石切峠
休憩場所からすぐ、道路に出ます。
ここが石切峠で、このまま円成寺(この先5.5km)へと向かってもよかったのですが、
どうせここまで来たのだからと、近くの芳山(ほうやま/518m)へ上ることにしました。
道路を右折し、少し先に赤いペンキの塗られた木があり、そこから左手の山へと入ります。
道路に出たところにあった分岐道標(300m先には峠の茶屋があるようです)
芳山へは、テープをたよりに黙々と進みます。
途中、何か所か他の道と合流していたり、石碑があったりしていてやや複雑な登山道となりますが、
ある程度の勘で先へと進みます。
10時57分 石碑(他の道と合流)
10時59分 合流地点
11時07分 芳山
三角点がありますが、地味な山頂です。
ここまで来たからには、芳山二尊石仏も見にいくことにしました。
一般的には石切峠の先にある、峠の茶屋付近から山道へと入れば、二尊石仏へと行けるようです。
ボク達は芳山へ先に上ったので、二尊石仏が後回しとなりました。
やはり分かりにくい道で、標も無く困っていたところ、向かいから来た年配の男性に道を教えてもらいました。
11時15分 芳山二尊石仏
芳山からやや北東へと少し下り気味に歩いた先に、石仏はありました。
石仏のある空間は広々としており、荘厳な雰囲気を作り出しています。
石仏からは複雑に山道がからみあっていて、
どこを歩いているのか判然としないまま、方角でいうと芳山から真東にある田園地帯へと下りました。
11時30分頃
田園地帯を南へと歩き、田をまくように東北東へと向かいます。
11時42分 分岐
分岐を右へと折れ、山間の道を進みます。
山間部の田園風景。これは柳生の隠田(かくしだ/年貢の徴収を避ける違法田)ではなかったか?
などと人目に付かなさそうなこのあたりの田を見ていて、空想が広がりました。
なにより、民家も無く、人もいませんから。
11時55分 道路
道路に出て来ました。
右(南)へと折れ、進みます。
しばらく歩くと、左手に道標があり「東海自然歩道」の入り口となっていました。
12時03分
ここからの道は、とてもわかりやすく、のんびりと歩くことができます。
気をつけることは「東海自然歩道の道標を見落とさない」ということだけです。
12時38分 道路 茶屋
滝坂の道も後半、少しくたびれた気分でだらだらと歩きます。
30分もすれば、道は石畳となり、国道369号線へと出てきました。
道路わきには茶屋があり、わらびもちやうどんを楽しめるようです。
ボク達も入ろうかどうしようか悩みましたが、必要に迫られてはいなかったのでやめておきました。
(風情のある、ゆっくりできるお店のようでした)
茶屋からすぐのところに、円成寺の入り口があり、庭園へと入ります。
お寺の中も見たかったのですが、観覧料が必要そうだったのでやめておきました。
円成寺の門
さて、ようやく柳生街道(滝坂の道)も終わり、バスに乗って帰ろうとしたのですが、
1時間以上待たなければバスがこないことがわかりました。
「次のバス停まで歩こう」
「それで、まだ時間があるようならその先へ向かっても良いし」
話し合った結果、帰路方向へと369号線をバス停を経由しながら歩くことにしました。
凍った池。うめ子はこんなことをやっているのに、ボクがしようとすれば怒られました。
しばらくは、呑気に道路歩きも楽しく、次々にバス停を通過して歩きました。
途中「乗る意志を見せなければならないバス停」などというものがあり、それが立て続けに3か所あります。
「人がいない場所だから、きちんとしたバス停は無いんだね」
「確かに、こんなところでバスに乗る人もいないだろうね」
大慈仙バス停から平清水口バス停、そこから「乗る意志を見せなければならないバス停」を3つ通過したあたりで、
ボク達の乗るバスが来るまで20分ほどの余裕がありました。
20分もあれば、次のバス停までは軽く歩けるなと、ボク達はさらに先へと向かいました。
これが重大な判断ミスだと気付くのに、そう時間はかかりませんでした。
なにせ、歩いても歩いてもバス停が見えてきません。あたりには民家もなく、景色の良い峠道です。
さすがに動揺し、やや早足となり、小走りとなり、ついには駆け出すほどの焦りようとなりました。
まだのんびりしていた辺り 14時08分 下中の川バス停
必死の思いで時間ギリギリにバス停に到着し、バスに乗ることができました。
こんなに焦った山歩きは久しぶりです。わりと楽なコースだったはずなのに、激しい疲労感に襲われました。
でも、いつもそうですが、満足のいく山歩きでした。
それではまったねー。