2011年2月13日(日)、京都の愛宕山に行ってきた。
京都市右京区の北西に位置する愛宕山だ。きちんと説明しておかなければ、どこの愛宕山に登ったかわかったものではない。
調べてわかったのだけれど、京都だけでも5つの愛宕山があるのだ。
全国に900社あるという「愛宕神社」の総本社があるわけだけれど、その900社がある山がそれぞれ愛宕山を山名に使用していたりするものだからたまったものではない。
愛宕山という山名がいつの頃から一般的になったのかは知らないが、それ以前にはなんと呼ばれていたのだろうか。愛宕神社があるから愛宕山ではあまりにも安易な感じがしてしまうのだ。
ベトナムでオートバイのことをみんな「ホンダ」と呼んでいるようなものではないだろうか。
さて、ややこしく考えても始まらないので梅田へ。
阪急京都線に乗り換え、桂駅で嵐山線に乗り換え。
乗り換え乗り換えで終点の嵐山駅に下車した我々は、ランタンぶら下がるホームに到着した。
広くきれいに整備された駅前広場に出る。
7時35分 阪急嵐山駅
「う~・・・さむいっ」
盆地ならではのしみ込むような寒さに、京都に来たなぁ、と実感させられる。
辺りには薄らと霜がおり、視覚的にも京都の冬を演出していた。
部活の遠征か、駅前に高校生が集合している。こんな寒い日の朝からえらいなあと関心してしまうが、こちらもこんな朝早くから山歩きなのだ。
広場か右前方へと歩くと、バス乗り場(京都バス)があり、ここから清滝へと向かうバスに乗車する。
清滝~三合目小屋~水尾分れ~愛宕神社~月輪寺(つきのわでら)~清滝
ここは京都の嵐山。以前にただ観光目的で来たことはあったのだが、観光客で込み合う嵐山の、それも渡月橋をバスで渡るときには、
「観光客のいる嵐山を観光」しているような、なんだか面白い気分になってしまった。
8時05分 清滝バス停
同じバスにパラパラと登山者がいて、ほとんどの人が道路を左に歩いていった。
我々はバス停から茶店の横の坂道を下る。
さすがに山間部、辺りは白く凍った世界だ。
奇麗な赤色の橋が見えてきた。
「渡猿橋」とある。
橋から眺める清滝川、幻想的とまではいかないまでも、旅館などが味わいよく風景に溶け込み、美しい冬景色を堪能できる。
橋を渡り、情緒ある町並みを抜けると、朱色の鳥居が見えてきた。
8時18分 鳥居
ここが今回のコースの入り口、表参道の登山口である。
愛宕山のこのルートを地図を見てぞっとしたのだが、往路は延々と坂道が続く。
しばらくは急な舗装路を歩き、やがてそれが階段となる。
8時25分 お助け水(水場)
お助け水と呼ばれる水場に到着した。
いつものエアー洗顔をする・・・手袋したまま。まだまだ芸が足りないのだ。
ボクの足に着けているゲイターはmacpacのものだが、生地の頑丈さが気に入り購入した。
他のゲイターには必ずある、靴底にひっかけるバンドはないのだけれど、無くてもまったく問題が無い。
最初は「自分で取り付けるのかな?」と思って面倒だなと思ったのだけれど、使ってみると、靴にフィットしてバンドはいらないことがはっきりとした。使ってみなければわからないものなのだ。
りっぱな参道を誇示するかのような石段である。
階段はなはだ厄介・・・と思いきや、わりと楽なのだ。階段の幅がボクの歩幅にあっているのだろう。
8時43分 一文字屋跡
20丁目「一文字屋(茶屋)」跡を通過した。
しばらく歩き、25丁目の茶屋跡を過ぎると、三合目にある小屋に到着する。
小休止しようとしたのだが、先客がいたのでよしておいた。
9時18分 五合目小屋
誰が作ったか、雪ダルマ
ふたたび小休止しようと中に入ったのだが、バカ者たちの落書きに辟易し、すぐに道へともどることにした。
大きな木に、お神酒(?)が奉納されていた。
りっぱな4斗樽だ。
今読んでいる佐伯泰英さんの時代小説「酔いどれ小藤次留書」の中で、
1斗5升を飲み干した主人公赤目小藤次ならば、軽く飲み尽くしてしまうだろう。
(1斗=10升=18リットル)
ちなみに我が家はお酒を飲まない。しかし、寒い日に熱燗でキュっとやりながら何か美味しそうなものを食べるなんていう光景は憧れる。
景色の良い、平たんな道もある。
だんだんと、雪が多くなってきた。
そう言われても・・・
9時44分 七合目小屋
坂を上りきったところに見晴し良さそうな七合目小屋(京都市街が見渡せます)がある。
何人かが着替えたりお茶を飲んだりと寛いでいる。
ベンチ前は景色も開けていてとても居心地良さそうである。我々もそろそろ休憩しようと考えていたが、もう少し落ち着いた場所を求めて前進する。
9時53分 水尾分れ
ようやく水尾地区からのルートとの合流地点「水尾分れ」分岐に到着した。
小屋もあり、まだ人も多くないのでここでお昼休憩にした。少し早いのだけれど、腹は減っているのでこれでいいのだ。
9時53分~10時32分
小屋の中のベンチ脇に木切れが置いてあった。直感的にこれでベンチやテーブルに積もっている雪をかき分けるのだな、とわかったのでそのようにする。
速やかに雪をどけて、休憩に突入した。
食事を終え、しばらくのんびりしていると、ぞくぞくと後続者たちが集まりはじめた。
人を気にせずたっぷりと休憩し終わっていた我々はシャキッと出発なのだ。
樒(しきみ)小屋
樒(シキミ=シキミ科の常緑高木)が売られている小屋のようだ。
樒は、シキビ、ハナシバとも呼ばれ、御佛前の供養用として使われる。
愛宕山では火災を除く神符としてお土産にされていたようだ。
それでは、各地の愛宕山でもそういった理由で売られているのだろうか。そうすると当時は樒小屋ネットワークなどというものがあったりはしなかったのだろうか。まあ神社が管理しているのだろうな。
だいぶ雪も深くなってきた。
わりと人の多いルートのせいで歩きやすく、我々はアイゼンを最後まで装着することはなかったが、安全のためにはアイゼゼンの装着をお勧めする。
黒い門が見えてきた。
大勢の人が記念写真を撮っている。もちろんボクもうめ子にせがんで記念撮影しておくのだ。
それでは、今日はここまでっ!!【京都・愛宕山 其の二 完】で。まったねー。
京都市右京区の北西に位置する愛宕山だ。きちんと説明しておかなければ、どこの愛宕山に登ったかわかったものではない。
調べてわかったのだけれど、京都だけでも5つの愛宕山があるのだ。
全国に900社あるという「愛宕神社」の総本社があるわけだけれど、その900社がある山がそれぞれ愛宕山を山名に使用していたりするものだからたまったものではない。
愛宕山という山名がいつの頃から一般的になったのかは知らないが、それ以前にはなんと呼ばれていたのだろうか。愛宕神社があるから愛宕山ではあまりにも安易な感じがしてしまうのだ。
ベトナムでオートバイのことをみんな「ホンダ」と呼んでいるようなものではないだろうか。
さて、ややこしく考えても始まらないので梅田へ。
阪急京都線に乗り換え、桂駅で嵐山線に乗り換え。
乗り換え乗り換えで終点の嵐山駅に下車した我々は、ランタンぶら下がるホームに到着した。
広くきれいに整備された駅前広場に出る。
7時35分 阪急嵐山駅
「う~・・・さむいっ」
盆地ならではのしみ込むような寒さに、京都に来たなぁ、と実感させられる。
辺りには薄らと霜がおり、視覚的にも京都の冬を演出していた。
部活の遠征か、駅前に高校生が集合している。こんな寒い日の朝からえらいなあと関心してしまうが、こちらもこんな朝早くから山歩きなのだ。
広場か右前方へと歩くと、バス乗り場(京都バス)があり、ここから清滝へと向かうバスに乗車する。
清滝~三合目小屋~水尾分れ~愛宕神社~月輪寺(つきのわでら)~清滝
ここは京都の嵐山。以前にただ観光目的で来たことはあったのだが、観光客で込み合う嵐山の、それも渡月橋をバスで渡るときには、
「観光客のいる嵐山を観光」しているような、なんだか面白い気分になってしまった。
8時05分 清滝バス停
同じバスにパラパラと登山者がいて、ほとんどの人が道路を左に歩いていった。
我々はバス停から茶店の横の坂道を下る。
さすがに山間部、辺りは白く凍った世界だ。
奇麗な赤色の橋が見えてきた。
「渡猿橋」とある。
橋から眺める清滝川、幻想的とまではいかないまでも、旅館などが味わいよく風景に溶け込み、美しい冬景色を堪能できる。
橋を渡り、情緒ある町並みを抜けると、朱色の鳥居が見えてきた。
8時18分 鳥居
ここが今回のコースの入り口、表参道の登山口である。
愛宕山のこのルートを地図を見てぞっとしたのだが、往路は延々と坂道が続く。
しばらくは急な舗装路を歩き、やがてそれが階段となる。
8時25分 お助け水(水場)
お助け水と呼ばれる水場に到着した。
いつものエアー洗顔をする・・・手袋したまま。まだまだ芸が足りないのだ。
ボクの足に着けているゲイターはmacpacのものだが、生地の頑丈さが気に入り購入した。
他のゲイターには必ずある、靴底にひっかけるバンドはないのだけれど、無くてもまったく問題が無い。
最初は「自分で取り付けるのかな?」と思って面倒だなと思ったのだけれど、使ってみると、靴にフィットしてバンドはいらないことがはっきりとした。使ってみなければわからないものなのだ。
りっぱな参道を誇示するかのような石段である。
階段はなはだ厄介・・・と思いきや、わりと楽なのだ。階段の幅がボクの歩幅にあっているのだろう。
8時43分 一文字屋跡
20丁目「一文字屋(茶屋)」跡を通過した。
しばらく歩き、25丁目の茶屋跡を過ぎると、三合目にある小屋に到着する。
小休止しようとしたのだが、先客がいたのでよしておいた。
9時18分 五合目小屋
誰が作ったか、雪ダルマ
ふたたび小休止しようと中に入ったのだが、バカ者たちの落書きに辟易し、すぐに道へともどることにした。
大きな木に、お神酒(?)が奉納されていた。
りっぱな4斗樽だ。
今読んでいる佐伯泰英さんの時代小説「酔いどれ小藤次留書」の中で、
1斗5升を飲み干した主人公赤目小藤次ならば、軽く飲み尽くしてしまうだろう。
(1斗=10升=18リットル)
ちなみに我が家はお酒を飲まない。しかし、寒い日に熱燗でキュっとやりながら何か美味しそうなものを食べるなんていう光景は憧れる。
景色の良い、平たんな道もある。
だんだんと、雪が多くなってきた。
そう言われても・・・
9時44分 七合目小屋
坂を上りきったところに見晴し良さそうな七合目小屋(京都市街が見渡せます)がある。
何人かが着替えたりお茶を飲んだりと寛いでいる。
ベンチ前は景色も開けていてとても居心地良さそうである。我々もそろそろ休憩しようと考えていたが、もう少し落ち着いた場所を求めて前進する。
9時53分 水尾分れ
ようやく水尾地区からのルートとの合流地点「水尾分れ」分岐に到着した。
小屋もあり、まだ人も多くないのでここでお昼休憩にした。少し早いのだけれど、腹は減っているのでこれでいいのだ。
9時53分~10時32分
小屋の中のベンチ脇に木切れが置いてあった。直感的にこれでベンチやテーブルに積もっている雪をかき分けるのだな、とわかったのでそのようにする。
速やかに雪をどけて、休憩に突入した。
食事を終え、しばらくのんびりしていると、ぞくぞくと後続者たちが集まりはじめた。
人を気にせずたっぷりと休憩し終わっていた我々はシャキッと出発なのだ。
樒(しきみ)小屋
樒(シキミ=シキミ科の常緑高木)が売られている小屋のようだ。
樒は、シキビ、ハナシバとも呼ばれ、御佛前の供養用として使われる。
愛宕山では火災を除く神符としてお土産にされていたようだ。
それでは、各地の愛宕山でもそういった理由で売られているのだろうか。そうすると当時は樒小屋ネットワークなどというものがあったりはしなかったのだろうか。まあ神社が管理しているのだろうな。
だいぶ雪も深くなってきた。
わりと人の多いルートのせいで歩きやすく、我々はアイゼンを最後まで装着することはなかったが、安全のためにはアイゼゼンの装着をお勧めする。
黒い門が見えてきた。
大勢の人が記念写真を撮っている。もちろんボクもうめ子にせがんで記念撮影しておくのだ。
それでは、今日はここまでっ!!【京都・愛宕山 其の二 完】で。まったねー。