苦楽の彼岸 山あるき 森あるき

こんにちは!umebocです。
主に近畿の山々をうめ子と2人で歩いています。

2010年11月14日(日)【高野三山】 其のニ 完

2010-11-23 | 阪南・紀北エリア

【高野三山 其の一】からどうぞ。




さて、




一本杉を後にし、先へと進みます。






















うめ子は冬用にレッグウォーマーを導入しました。
小枝や汚れには弱いかもしれませんが、保温効果はかなり高いようで気に入っているみたいです。

今はCW-Xスパッツに緩めのタイツを重ね履きしているボクも、
冬用にロングゲイターを買おうと思案中です。頑丈なヤツを探しています。



















11時03分 道路
















道路に突き当たり右折し、すぐの所でまた山道へと入ります。
























黄葉がとても奇麗です。
今年はなぜか紅葉の時季の把握ができません。
よくわからないのですが、山へ行き過ぎてるせいでしょうか?
京都では月末までが紅葉の見ごろだそうです。













乾燥しまくっているので、はっきりとしませんがナメコでしょうか。
ナメコ、乾燥するのかな?


































11時18分 転軸山(930m)

三山の山頂には全部祠が設置されているんですね。






















42番ポイントの道標です。
分岐になっていて、バツ印の付いている方へと進みます。





















奥の院の裏が見えてきました。
わりと水量のある沢を渡ります。
雨後には渡れないのかもしれないですね。











うめ子も買ったMSRのパックタオル・パーソナルS(右胸のやつ)。
オスプレーのクラブバックもいろいろ入れられて調子良いみたいですよ。



















11時30分 奥の院(弘法大師廟)裏手

山歩きはここで終了です。
休憩時間を入れて3時間16分でした。最近では珍しい短時間コースでした。
でも、高野山観光をして帰るには良いコースです。



















アジア、欧米の観光客でも賑わっています。
でも、やはりここはお寺でお墓のある場所です。
ボクの職場や、知り合いにもここ(高野山)にお墓のある人が何人か居ます。

























































「こうやくん」です。「うめぼしくん」も頑張っています。
























この辺のお墓のある通り、ここの方が撮影禁止の対象として充分な神域の気が・・・
でも、禁止されていないので観光客umebocは撮影しまくりです。




















結城秀康(家康の次男)の墓

越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主。越前松平家宗家初代。
関ヶ原の戦い以後に67万石の越前国北ノ庄に加増移封されたものの、家康には冷遇されていた人。
さらに、人質として豊臣秀吉の養子となっていたこともあり豊臣贔屓だった。
徳川2代将軍になったかもしれない男の34歳の若さでの死は、疑惑が残されている。





































長州毛利家の墓
















奥の院参道は約2kmほど、樹齢1000年を超えると言われるスギが立ち並びます。















実際にはこんな写真では表現しきれないほど、
ヒタヒタと厳粛な空気の感じられる所です(ザワザワした人間を無視すれば)。





















上杉謙信廟

ひときわ存在感のある上杉謙信のお墓です。
関帝廟(三国時代の武将を祀る)を模したのでしょうか。
確かに、上杉謙信は神格化されても良いような逸話(「敵に塩を送る」など)の多い人物です。



















武田信玄・勝頼親子のお墓











つまり信玄は人間臭い人だったってことですかね。
謙信、信玄、戦国時代の二大巨頭ですよね。



















町石
















なるほど、九度山から続く町石道とは別に、伽藍大塔から弘法大師廟へと36町間の町石があるんですね。


























羽後秋田佐竹家の墓















薩摩島津家の墓

















ふう・・・とにかく奥の院には戦国武将などの墓が大量に存在します。
歴史好きには、その想像をかき立てるたまらない空間だと思われます。
この武将らは高野山の檀家だったのでしょうか。
当時の人たちはわりと大らかで、自分の宗旨などは気にせず、
気軽に高野山とのお付き合いをしていたのかもしれません(死後の平安のためもあったとは思いますが)。






奥の院の入り口、今回のスタート地点に戻ってきました。

















奥の院を出て、右方向へと進みます。














12時18分 一の橋バス停

ようやく終了です。高野三山、歩きやすくほどよくアップダウンのある楽しい山でした。
なにより高野山(奥の院)を満喫できたのが良かったです。

あ、ちなみにうめ子は時計持っていません。


それでは、次回は「比良山系蛇谷ヶ峰」です。まったねー。



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