海月美紗のしょうかっこう

小確幸とは 小さいけれども確かな幸せ という意味
何気ない毎日のなかで 小さな幸せを見つけたい

11月3日(日)ふくしま県南·狛犬めぐり

2024年11月04日 | 神社仏閣
狛犬は獅子に似た日本の獣で想像上の生物、起源はエジプトやインド。
拝殿の前や参道の要所に阿像·吽像が左右一対で並び、邪気を払い、神前を守護する意味を持つ。
 
 
 


南湖神社(白河市)
御祭神:松平定信公
石工:野田平業
建立年:大正11年(1922年)
野田平業24歳時の作品。このあと近隣に名前が知れ渡るようになった。顔がちょっと横に平べったくて鼻が大きくて、表情に迫力がある。流れるような尾っぽと透かし彫りの玉は完璧に美しくて、これはもう芸術作品! 阿像の顔真似をしてるみたいなチビ阿像がかわいい! 



常宣寺(白河市)
石工:三國次郎
建立年:昭和15年(1940年)
常宣寺は浄土宗の寺院、永禄二年(1559年)開山。御本尊は阿弥陀如来。和泉式部が今の白河市表郷地区に庵を結び、阿弥陀三尊を安置したのが始まり。
お寺の門の中、お堂の前にいる狛犬。
口や目で表現されてるキリッとした表情が力強い、たてがみが長くてカールしてるのがおしゃれ。ふ~ん、お寺の中に狛犬がいるんだ!って不思議な感じがした…
 
 


村社 鹿島神社(白河市)
石工:小松寅吉
建立年:明治36年(1903年)
東北のミケランジェロと言われる小松寅吉の最高傑作。ねぶたを連想させる姿と細工が見事。当時の鑿(のみ)でお腹や尾の中を中空に彫るのは至難の業。流れるような毛の表現、見る角度により変化する表情。上から流れた水が中にたまらないように計算されている。
すごい!としか言い様がない。遠くから見ても迫力があって、怖い!とさえ感じてしまう。狛犬ってちんまり坐ってにらみをきかせてるイメージだったんだけど、こんな今にも跳ねて飛び上がりそうな狛犬がいていいんだろうか…



川田神社(中島村)
石工:小松寅吉
建立年:明治25年(1892年)
小松寅吉が自身で奉納したとされている飛翔獅子。21歳のときに小松家の養子となり、その後、布孝を襲名したことを世間に知らしめた作品。それまでの蹲踞型(そんきょがた)からまるで空を駆けているような姿。尾も突き刺すように流れ、たてがみのカールもデフォルメされていて勇ましい。
もう夕方の4時を過ぎていて、夕陽の逆光を浴びた獅子は迫力満点! 後ろから見ても、たてがみと尾っぽが風にたなびいてるのがありありと分かる。今晩は狛犬に乗って空を飛ぶ夢を見そう…




踏瀬熊野神社(泉崎村)
石工:矢吹哲三
建立年:昭和4年(1929年)
台座には石工矢吹哲三の文字が彫られているが、この平べったい顔と大きな鼻は、野田平業作の雰囲気がある。阿像の押さえている玉が籠彫りではないので、平業は狛犬だけ請け負って、哲三が全体の請負人だったのかもしれない。吽像の足下にいるちびっ子の表情がなんとも愛嬌があって愛らしく、たてがみに幼さがあって可愛らしい!


村社 鹿島神社の参道階段途中にある、台座に獅子・牡丹、上部に昇り龍・下り龍の彫刻が施された灯篭。梅沢敬明作。

立派な狛犬や灯篭があり、社殿の中にも龍が絡みつく柱があるらしく、ここは由緒ある神社だろうと思われるのに、なんともぱさっとした野原にぽつんと…
鹿島神社の社の樹木は数年前に伐採されたらしい、なにか理由があるのかもしれない。
県南地方の狛犬や石工の歴史をもっと知りたいと思った。県南までは高速で2時間かかるけど、また狛犬めぐりができるかな…
 
 
おや!この灯篭、よく見ると龍の下にいるのは亀さんではないか!
 
 
 
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10月16日(水)仙台市博物館·親鸞聖人特別展

2024年10月16日 | 神社仏閣
仙台市博物館へ
親鸞と東北の念仏~ひろがる信仰の世界~ 9月10日(火)~11月4日(月)
2023年は浄土真宗の開祖・親鸞(1173~1262)の生誕から850年、2024年は親鸞が『教行信証』を著してから800年。

写真撮影はもちろん厳禁だから、印象的だったものをパンフから抜粋して接写。

国宝 親鸞影像(安城御影・副本)京都・西本願寺蔵
でも、これは9月23日までの展示、今回展示されていたのは 重文 親鸞影像(熊皮御影)奈良国立博物館蔵。
墨染めの袈裟、首に白い帽子(もうす)、手には数珠、膝前に柄の下が二股の杖。上畳に敷いた黒い毛皮に坐っているので「熊皮御影(くまがわのみえい)」。
親鸞って眉がピン!としてる人なんだって初めて知った。

国宝 教行信証(板東本)親鸞筆 京都・東本願寺蔵
教行信証は、親鸞聖人が釈迦が説いた一切経を圧縮して仏教の神髄を書き著したもの。親鸞の自筆、全巻そろって伝わる貴重な著作。


国宝 三帖和讃(親鸞・真仏筆)三重・専修寺蔵
和讃は仏教の教えを分かりやすく七五調でまとめた詩歌。親鸞の和讃「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」を総称して「三帖和讃」。
親鸞自筆の部分と、直弟の真仏が書写した部分がある。


阿弥陀如来絵像(方便法身尊像)岩手・長善寺蔵
蓮台の上に立ち、真正面を向く阿弥陀如来の絵像。全身が金色、放射状に48条の光明。阿弥陀如来絵像は本願寺から各地の真宗寺院に授与された。
我が家のお仏壇の阿弥陀様もはるばる京都の本願寺から送っていただいた。今も昔もおんなじ!


光明本尊 岩手・本誓寺蔵
浄土真宗の教えを視覚的に表した画像。
六字名号「南無阿弥陀仏」阿弥陀様に心から従います
九字名号「南無不可思議光如来」私たち人間では到底思い量る(思議)ことのできない大いなる仏様に帰依します
十字名号「帰命尽十方無碍光如来」滞ることなく十方を照らして、どんな隅々の者までもお救いくださる仏様に帰依します

名号とは仏陀や菩薩の称号(お名前)。「南無阿弥陀仏」の6文字は阿弥陀如来の名号。九字・十字も同様。仏教ではこの名号を唱えることに大きな意義があるとする。

特に印象に残っている蓮如の掛け軸が4幅
楷書十字名号 蓮如筆 秋田・浄願寺蔵
楷書九字名号 伝蓮如筆 青森・西教寺蔵
正信偈文 蓮如筆 岩手・願教寺蔵2幅
 如来所以興出世 唯説弥陀本願海
 五濁悪時群生海 応信如来如実言

正信偈は教行信証の一部。阿弥陀仏念仏を正信すること・七高僧をたたえた賛歌。阿弥陀仏の本願への信心と念仏こそが往生の正因であると強調。
少し勉強したから正信偈に書かれている内容はなんとなく理解できてる、と思う。

阿弥陀様の教えを正しく理解できるかと言われたら、それは難しく、阿弥陀様に帰依できるかと言われたら、それも難しい。
でも、「立派な仏像や厳しい修行は必要ではない、名号を唱えよ」という教えは違和感なく受け止めることができるような気がする。
親鸞聖人を少し身近に感じながら、お仏壇に向かって静かに手を合わせよう。


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10月13日(日)丹内山神社~荒脛巾大神の巨石

2024年10月14日 | 神社仏閣

相馬から花巻までは約230km、高速を使って片道約3時間。

「神様の御用人9・10」

この本のこの石に会いたくて

国之常立神の正統眷属である黒龍ならば、山の神々を止められる。…先導した阿字加に続いて、黒龍たちが到着したのは、山麓の斎場だった。

苔むした二つの巨石が薄闇に沈み、薄青色の花がここにも群生している。

右側にあるややいびつな長方形の岩は、地面に向かって斜めに突き刺さったようになっていて、一方の角がそびえる山のごとく天を向いていた。

左側にある薄い板状の岩は右側の岩にもたれかかっており、人が一人通れるかどうかという隙間が空いている。

いや、おそらくは、この巨石を真似てあの塚を作ったのだろう。ここを依り代として降りることは幾度もあったのに、黒龍は初めてそのことに気づいた。

黒龍は、音羽の骨を山麓の斎場の、その奥にある山肌に横穴を掘って埋めた。ここならば寂しくはないだろう。祈りにくる皆とも会えるし、神の依り代となる巨石を経て、音羽にも祈りが届く。

鹽土老翁神に後を任せて、穂乃香と聡哲の案内によって良彦たちが連れて来られたのは、本殿裏に荒脛巾神の依り代となる巨石がある、あの社だった。

『どこぞの鳥が、種を落としたか…』巨石の上で枝葉を伸ばす木に目を向けて、荒脛巾神が小さくつぶやいた。

『私がここを訪れたときも、あの木はなかったように思います』聡哲がそう告げるのを聞いて、田村麻呂が驚いたように彼を振り返った。

あたりは厳かな雰囲気で、一面に咲いている荒脛巾神の青い花が見えるよう…

下手に感想を書くよりいいと思って、文章は「神様の御用人」からそのまま引用。また9·10巻を初めから読み直そう!

人間の命など、

季節ごとに舞い散る木の葉と同じ

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10月13日(日)花巻·丹内山神社

2024年10月13日 | 神社仏閣
岩手県花巻市にある丹内山神社にはアラハバキ神が祀られている。アラハバキ神は、古事記や日本書紀には登場しない謎の神様。

一ノ鳥居
1848年の建立。高さ6m、当時は「盛岡藩で一番の杉の鳥居」
二ノ鳥居
案内板の参拝順序に従って、境内の上段の方へ向かう。
三ノ鳥居

さらに上の方へ、四ノ鳥居が見えてくる。
玉垣と御神門
この階段をあがると上段のエリア


御水屋
本殿の裏山に続く道をあがるとアラハバキ大神の巨石がある。
丹内山神社の御神体·胎内石
幅12m·高さ4~5m、巨石の真ん中に1本の木
本殿
創建は約1200年前。上古地方の開拓の祖神·多邇知比古神(たにちひこのかみ)が御祭神

外壁一面に、地元の彫刻名人・千葉八重郎による竹林の七賢人・中国二十四孝・小野道風が彫られている。
本殿右側の脇障子に唐獅子と牡丹の彫刻。この唐獅子を舐めると居眠りをしないという、七不思議その一。


本殿の裏から見上げた胎内石
社務所
丹内山神社境内にある建物にはつららが下がらないという、七不思議その二。また境内には竹が生えないという、七不思議その五。


御神門から階段を下がると四ノ鳥居の間に神泉池。石橋の欄干に付けられている擬宝珠は1827年に納められたもの。
このエリアが中段。
手水鉢
どんな旱天でも水が乾くことがないという、七不思議その四。
肌石
この石には雪が積もらないという、七不思議その三。

早池峰山参拝石


八幡神社・加茂神社
源頼義が東征の際に戦勝祈願をし、その後建立されたと伝えられている末社、二社一棟造り。
この末社と観音堂のあるエリアからが下段。

祖霊社・相殿・観音堂
木造十一面観音菩薩像と丹内山神社仏像(不動明王立像)が安置されている。
安産神・疱瘡神・雲南神を祀る末社

弓引石
源義家がこの石の上で弓を射たと伝わる石

神楽殿と舞踏殿

大銀杏
この銀杏の葉はどんな強風でも境内の外に飛び散らないという、七不思議その六。
御神木爺杉の根株
樹齢2000年を超える巨木の根株。大正2年に焼失する前は高さ60m・根本の太さ12m。
祖父杉の幹に桐の木が生えていたという、七不思議その七。
駒形神社
御祭神は駒形の神、畜産振興の守り神、狛犬の代わりに狛牛・狛駒


振り返ると杉木立の中に観音堂が見える、ひっそりとした山の麓に広がる厳かな雰囲気
参拝は上段から中段、下段へというのを納得


小説の舞台になったからというわけではないだろうけど、パワースポットとして有名になって参拝客がたくさん、駐車場は満車。
参拝の心得をよく知らない私のような観光客の無礼をどうぞ許してください。
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7月29日(月)江島神社へ

2024年07月29日 | 神社仏閣
穏やかそうに見えるんだけど、波が高くてべんてん丸は欠航。稚児ヶ淵まで行きたかったけど、残念。
江の島弁天橋を渡って江島神社へ。江島神社は、辺津宮・中津宮・奥津宮の三社の総称。海を守護する三姉妹の女神を祀っている。

青銅の鳥居
江島弁財天参拝の玄関口。神額「江島大明神」は弁財天の使いの蛇。
江島神社 朱の鳥居
瑞心門
竜宮城を模した神門。参拝者が瑞々しい心でお詣りができるように。

江の島エスカー
酷暑の中、階段を上る勇気はないのでエスカーを利用。


辺津宮(へつみや)
御祭神は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
1206年に鎌倉幕府3代将軍源実朝が創建、社殿の屋根には江島神社の沙門「向かい波に三つ鱗」

銭洗白龍王

奉安殿
江ノ島弁財天は、広島県の宮島、滋賀県の竹生島と並ぶ「日本三大弁財天」。弁財天は、芸能・音楽・知恵・福徳の神。
八臂弁財天(はっぴ)と妙音弁財天(みょうおん)が安置されている。

八坂神社(江ノ島天王社)
御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
古事記によれば、三柱の女神は、天照大御神と須佐之男命の誓約により生まれた。
秋葉社・稲荷社

中津宮
御祭神は、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
853年、慈覚大師によって創建。

江ノ島シーキャンドル
もう少し先の奥津宮・御祭神は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をお詣りしたかった。

児玉神社
日露戦争で日本を勝利に導いた児玉源太郎を祀っている。台湾総督在任時の善政により、社殿の用材と石材は大部分が台湾からの寄進。

江島大神と称される三女神は、古くは江島明神と呼ばれていた。仏教との習合により、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるようになった。福岡の宗像大社や広島の厳島神社と御同神。
観光地だから、外国の方がたくさん。酷暑で島内を全部回りきれなかったのが残念。



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