多賀城は、724年に大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、陸奥国を治めるために国府が置かれた。
現在は、発掘調査成果をもとに環境整備が進んでいる。奈良県の平城京跡、福岡県の太宰府跡とともに日本三大史跡のひとつ。
△多賀城外郭南辺の築地塀と櫓跡
△築地塀北側の低湿地、現在は「あやめ園」になっている。
△外壁南門(再建中)
外壁南辺のほぼ中央。多賀城の正門にふさわしい二階建ての豪華な造り。
△多賀城碑と覆屋
△政庁跡から外郭南門跡へ、南北にまっすぐ通じる城内のメインストリート。政庁南門の前は傾斜がきつく、階段を登るのがけっこう大変。
△政庁跡
約900m四方の城内、とにかく広い。看板写真を見て、やっと全体像と自分の位置がつかめる。
△政庁南門跡
△政庁正殿跡
多賀城のほぼ中央に位置している。東西103m、南北116mの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が執り行われた。
△政庁復元模型と建物配置図
△政庁東殿跡
△政庁跡から外壁南門を見下ろす。高台にあり、風が心地よい。とにかく広くて威厳がある。
その向こうに広がる街並み。昔、蝦夷と呼ばれた人々は、どんな思いでこの多賀城を見上げていたんだろう。そして、歴史はどんなふうに展開されてきたんだろう。
政庁跡に桜の木が植えられている。桜の咲く頃になったら、この広い城趾を散策しながら1300年前の陸奥国に想いを馳せるのもよいと思った。
2024.6.21