海月美紗のおでかけ日記

おでかけ大好きです
見つけた小さな“happy”を記録していきます

2011年9月 鎌倉へ

2025年01月31日 | 旅の思い出

2011年9月17日 鎌倉へ

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報国寺 

報国寺は、鎌倉市にある仏教臨済宗建長寺派の寺院。御本尊は釈迦三尊。

境内に孟宗竹約2000本からなる竹林があって、竹寺として知られている。

竹林が好きで、報国寺へは何度も行った。境内にある休耕庵で竹林を見ながら抹茶とお茶菓子をいただいた。竹は勢いのある植物なのに、竹林にいると静かな気持ちになる。

バス停から報国寺の山門へ行く途中にフレンチのお店があった。いつもここでランチを食べて赤ワインを飲んだ。サラダには食べられる花が添えられていた。今はお店が変わってしまい、当時のお店の名前は思い出せない。

 

 

 


1月30日(木)松川浦・ふたつの塩釜神社

2025年01月30日 | 神社仏閣

相馬市の松川浦の近くに2つの塩釜神社が鎮座する。御祭神は塩土翁命。

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【岩子塩釜神社】

岩子漁港をさらに東に進んだ道路沿いに社号標と鳥居。社殿は高台の上。目の前に松川浦が広がる。

鳥居をくぐって階段を登り切ると、灯籠の手前に小さな狛犬が1対。

向かって右側が吽形、左側が阿形の玉取り。昭和4年の建立。太い足が力強い。

社殿と扁額、九曜の御紋。

延元3年・歴応元年(1338)に勧請。その後歴代相馬藩主によって手厚く保護され、文化元年(1804)に九曜紋の永代使用を許可された。

晴れた日には水平線の向こうに金華山が見えるので、ここから遙拝が可能。

境内から、松川浦に浮かぶ沖賀島と文字島がすぐそこに見える。「松川十二景和歌」の歌碑が2基並ぶ。

社殿は高台にあるから震災時の津波を免れた。階段下の道路沿いにはたくさんの民宿や民家があったが流されてしまった。松川浦を見渡せる君たちは、その恐ろしい光景を目の当たりにしたのかい?

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【和田塩釜神社】

松川浦に注ぐ小泉川の北側、山の中に鎮座する。木立で見えないが、社殿の北側には松川浦が広がっている。

社号標と一の鳥居。鳥居の近くには榊、参道の両側には椿が植えられている。

二の鳥居の前に狛犬が1対。昭和15年(1940)の建立。

向かって右側が吽形、左側が阿形。凜々しい表情と厚い胸板が特徴的。

2体とも尾が折れている。吽像の尾は修復されているが、阿像の尾は行方不明。

石段の上に拝殿、石製の扁額。

本殿の覆屋と九曜紋。

「下総行徳住人 玄番墓」の碑。元和元年(1615)、相馬地方に製塩技術を伝えた堀内玄番がここに祠を建てて祀られていたが、やがて塩釜神社に合祀され現在に至るということ。

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松川浦は砂州のある潟湖、緑の松が白い岩肌に映える島の浮かぶ景勝地として有名。第五代相馬藩主相馬昌胤が「松川十二景和歌色紙帖」を作り、40年程前に相馬市が歌碑を設置した。震災時の大津波で海岸線沿いの松原は壊滅、歌碑のいくつかは流出…

松川浦では昔から製塩事業が行われていたが、明治時代以降は海苔やカキ、アサリの養殖へと移行してきた。震災後しばらく見ることができなかった海苔棚も、10年が経ってやっと復活し始めた。

時間は流れ、時代は移り、松川浦の景色や人々の生活は変化してきた。でも、社を大切にし神を祀る気持ちは昔も今もきっと変わらない。


1月29日(水)相馬・小泉八坂神社の狛犬

2025年01月29日 | 神社仏閣

 

小泉八坂神社は、元禄4年(1691)第五代藩主相馬昌胤公が、中村城の艮(うしとら・東北)の鬼門を護り、悪魔を祓う「牛頭天王社」として祀った社。明治時代になって八坂神社へ。

社号標と一の鳥居

参道の石段と手水舎、二の鳥居

拝殿と扁額、流造の本殿。御祭神は須佐之男命。

境内の様子

向かって右側に吽象、左側に阿像。彫りは浅く、表情もわりと穏やか。

3段カールとレースの襟みたいなたてがみ、左右に3つずつ巻いた尻尾がかわいらしい。

後ろ姿は凜々しく…

牛の神使さま、角は立派なんだけど表情は優しい。

石碑

神社は小高い山の上にある。南側の山肌にたくさんの穴、横穴墓群? いやいや昔の製塩事業のなごり? 何だろうか?

相双12社の神玉を集める「奥州相馬神玉巡拝」の1社。神玉の模様はみんな違っていて、小泉八坂神社は御祭神の牛頭天王にちなんで「牛」と供え物の「キュウリ」。でも1玉500円だから、ずっと迷ってて足踏み状態。御朱印と同じで、集め始めたらキリがないからなあ…

 

 

 


1月28日(火)上栃窪・冠嶺神社の狛犬

2025年01月28日 | 神社仏閣

冠嶺神社(さかみねじんじゃ)は、南相馬市鹿島区上栃窪に鎮座。延喜式内社である冠嶺神社の論社とされる古社。

神社の北側を通る国道268号線沿いにある大鳥居と社号標。社殿を右手に見ながら、参道を南へ。

一の鳥居。もとの参道は真野川の方から真っ直ぐ北に向かって伸びていたらしい。正面に二の鳥居と社殿が見える。

扁額

北側の大鳥居から参道を南へ進み、180度向きを変えて民家の脇を抜ける感じで二の鳥居へ。

拝殿と扁額。

御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、相殿に彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)。

拝殿前の狛犬。昭和17年(1942)の建立。向かって右側の狛犬には角が生えている。

左側の狛犬。目には透明なガラスのような物がはめ込まれている。

九曜紋の入った台座の上で正面を向いて蹲踞、横から見ると凜々しさが際立つ。

背中まで届く長いたてがみとピンと伸びた尻尾、後ろ姿も勇ましい。

なのに、正面から見ると何ともユーモラスな表情。右側の狛犬、目のガラスはとれてしまった?

流造の本殿

石碑

境内社は七社。

境内の鎮守の森は「冠嶺神社の樹林一括」として南相馬市の天然記念物に指定されている。

神社の周辺では、震災後の土地改良事業によって農地の大区画化や農道の整備が進められている。神社の前に青々とした風景が広がるのは、もう少し先?


1月27日(月)大波・水雲神社とハクタク

2025年01月27日 | 神社仏閣

福島県内に白澤(ハクタク)の彫刻のある神社はいくつかあるが、福島市大波に鎮座する水雲神社もそのひとつ。

国道115号線を福島から霊山へ、バス停「大波」のすぐ隣りに参道入口。

石段の参道途中に朱色がきれいな両部鳥居。

江戸時代後期、享和3年(1803)建立の石灯籠。

御祭神は天之御中主神。

本殿と拝殿。弘化元年(1844)年の建立。本殿は覆屋で囲まれている。

本殿の木鼻の彫刻が素晴らしい!

本殿西側

本殿後ろ側

本殿北西部の角

本殿東側

本殿前部の狛犬、西側が阿形・東側が吽形。

白澤。頭に宝珠を乗せ、立派な髭を生やしてるけど、少し優しげな表情。足は確かに牛の蹄。

大神宮と象頭山の碑。大神宮碑に天保4年(1833)の銘、地震で倒れたのか、壊れた部分がきちんと修復されている。

御神木の大杉。

参道も境内もきれいに掃除が行き届き、心地よい。180年も前の彫刻が見事に残っていて、神社が大切にされているんだなということがよく分かる。参道の石段脇に大きな椿の木があり、蕾がたくさんついている。福島へ行くときにここは必ず通る道だから、椿の花が咲く頃にまたお詣りしようと思う。