墨堤通りを白鬚橋方面へ歩いていると、
「何だあれ❓」
と小僧が指差した。
見れば団地をバックに堂々と立っているのは誰あろう「榎本武揚」ではないか。
幕末・維新を生き抜き晩年はこの地に屋敷を構え悠々自適の日々を過ごした、と碑に書いてある。
もちろんこの道標を知らなかったのではなく、幕末の外交官「岩瀬忠震」の終焉地があることでも「長寿庭園」でもない。
ぜんぜん知らなかった・・・。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
今までそれこそ何百回もこの辺りを走り回っていたのに、ぜーんぜん気が付かなかった。
さらに、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
と自分にツッコミを入れて、偉そうに映画のことを語ったりしていた己の不明を恥じ、すごすごとその日はその場を離れた。
家に帰って先ずは日活のHPを見て➡️『日活向島撮影所跡地』に行ってみました | 日活100周年(アーカイブサイト) | NIKKATSU 100th Anniversary(archives)
そして
『ここは本格的劇映画が製作された、当時東洋一のスタジオ、日活向島撮影所のあった所です。「カチューシャ」に代表され以後760本にも及ぶ「向島作品」が一世を風靡していきました。明治34年(1901)、外国映画が日本に輸入されると、日本でも本格的な劇映画制作の機運が高まりました。大正2年(1913)、国内の映画制作会社4社が合同し、日本活動写真フィルム株式会社(日活)が創設され、ここに敷地面積900㎡、全天候型のグラスステージがつくられました。しかし、関東大震災によって倒壊し、大正12年(1923)閉鎖されました』
ということが調べてわかった。
さらに
「桜堤中学校 - 墨田区の小中学校」のサイトの中に➡️https://oss.obunko.com/sakuratsutsu-chuugakkou.html
より詳しい話しが載っていた。
それによれば、
『平成10年(1998)11月、日本映画建碑委員会が、墨田区教育委員会、日本映画テレビ技術教会、日本大学藝術学部、日活、フジワラプロダクションズ協賛を得て「近代映画スタジオ発祥の地」の碑を建立した』
ということなので、モグランポの開店した翌年に碑が建てられたわけで、「名画座に入り浸りだった頃」にはその碑もなくネットもなかったから知らなかったのは仕方ないかもしれない、と少し言い訳したりして・・・。
で、また歩いて現場を見に行った。
学校の裏手、人通りもあまりない場所に柵越しじゃぁ、そりゃ目立たないよね。
しかし、ゆっくりでも走っていたときには気がつかなかったモノ・景色が、時間も距離も気にしないで気ままに歩いたことで見えたのは良かったことだろう。
普段何気なく通っている道のあちこちに、知らないことがまだまだあるのだと思い知った。