面白かった。
藤森さんの一般向けの面白い本はつぶしていてかなり読んだが、
真面目な本はそれほど読んでない。今回の本もわたしにはちょっと難しい類。
建築的な難しさと、哲学的な難しさ、どちらもあった。
わたしは藤森さんを、建築史家としてはとても好きだが、建築家としては
少々微妙だと思っていて。
それはわたしが建築は機能だと思っているから。
思想の表現ではなく。使う人のためのものだと思っているから。
使い勝手さえ良いなら、コストが妥当なら、デザインさえわたしの許容範囲なら、
その上で思想でも何でも盛ってくれていいのだが。
まあでも藤森さんはそれでも使い勝手を多少は気にしてくれている部分もあると思う。
が、最優先ではない気がする。
藤森さんの建築でちょっとでも知ってるのは、だいたいは初期の建築で、
神長官守矢資料館、タンポポハウス、ニラハウス、秋野不矩美術館、一本松ハウス、
ツバキ城、矩庵、高過庵……つかれたからはしょるが、他に空飛ぶ泥船など。
茶室はこのうち矩庵、高過庵、空飛ぶ泥船。
わたしはこれらを見て、まあ矩庵は茶室でいいけれども、
高過庵とか空飛ぶ泥船とか、何か変わった小さい建物をもっともらしくするために
茶室と呼んでいるんだろうなあと思っていた。
これについての解答はこの本で(解けないかもしれない)。
縄文時代からの住居形式から寝殿造りを経て、書院造を通り、そこから唐突に表れる茶室。
利休出現直前の茶。
利休。
そして利休以後。
長い空白の後、明治以降の建築家たちの茶室との関わり。あるいは関わりのなさ。
堀口捨巳と、それ以降の建築家たちにとっての茶室。
内容はこんなところだろうか。その内容をちゃんと覚えていられればいいんだけど、
読んだそばから忘れてしまう。
唯一頭に残ったことは、
「利休が茶室を極小にしていったのは内側と外側を反転させた“壺中天”を
目指していたから」
藤森さん的には多分そういう結論。
唐突にこれだけいうと、なに言っとるかわからんと思うが、
本で実際に読むと、ワケワカランながら流れは追えて納得出来ます。
それは藤森さんの結論であり、定説ではないけれども。
この本では、豊臣秀吉までを中に(=茶室に)取り込めば、
この世の最高権力者がいることで茶室が公(=外界)になる、と書いてあった……筈。
内外反転の壺中天。
なるほど。けっこう納得した。
――が、むしろ利休の心としてはあえて秀吉を考えなくても
(権力者は移り変わるものだし)我がいる、ということだけで良かったと思う。
わたしも二畳の茶室というのは一体何を考えて……と思っていたが。
わたしはもっと現実的に、政治的な密談空間としてか、
そこまで考えなくても主に権力者との――そこまで言わずとも
他者との近接距離を求めてのものかと思っていた。
広間で5メートルも離れて座っていても関係性は深まらないでしょう。
でも二畳でせまっくるしくくっついて座っていたら親疎は極まる。良くも悪くも。
茶室に対する近代の冷淡などについては、
もう少し違う立場にいた人もいるのかもしれないなと思った。
押しなべて西洋を向いていた近代の建築家があえてにしても
茶室を無視するのは、それはそうだと思うが、
でも日本人に通底する美意識は拾えるのではないかと。
そんなことを言って、茶室から屋外を眺めないということさえ知らなかったわたしは
何も言えまい。でも言うけど。
あ、あと日本では「茶室を作る」という一言だけでいろいろな説明が出来ると。
何か趣きのある、趣味に走った、あまり実用性のない、小さい建物を作るんだと
伝わると。
これが外国人相手に「茶室」といっても通じないので、一から説明しないと
いけないと。
そして最後の磯崎新との対談は、――何度もこの組合せを読んでる気がするけど、
その度に話が難しくてヨクワカランと思うので、今後読む予定だった対談本は2冊、
課題図書リストから外しました。
面白かったです。わからないことも多かったけど。
藤森さんの一般向けの面白い本はつぶしていてかなり読んだが、
真面目な本はそれほど読んでない。今回の本もわたしにはちょっと難しい類。
建築的な難しさと、哲学的な難しさ、どちらもあった。
わたしは藤森さんを、建築史家としてはとても好きだが、建築家としては
少々微妙だと思っていて。
それはわたしが建築は機能だと思っているから。
思想の表現ではなく。使う人のためのものだと思っているから。
使い勝手さえ良いなら、コストが妥当なら、デザインさえわたしの許容範囲なら、
その上で思想でも何でも盛ってくれていいのだが。
まあでも藤森さんはそれでも使い勝手を多少は気にしてくれている部分もあると思う。
が、最優先ではない気がする。
藤森さんの建築でちょっとでも知ってるのは、だいたいは初期の建築で、
神長官守矢資料館、タンポポハウス、ニラハウス、秋野不矩美術館、一本松ハウス、
ツバキ城、矩庵、高過庵……つかれたからはしょるが、他に空飛ぶ泥船など。
茶室はこのうち矩庵、高過庵、空飛ぶ泥船。
わたしはこれらを見て、まあ矩庵は茶室でいいけれども、
高過庵とか空飛ぶ泥船とか、何か変わった小さい建物をもっともらしくするために
茶室と呼んでいるんだろうなあと思っていた。
これについての解答はこの本で(解けないかもしれない)。
縄文時代からの住居形式から寝殿造りを経て、書院造を通り、そこから唐突に表れる茶室。
利休出現直前の茶。
利休。
そして利休以後。
長い空白の後、明治以降の建築家たちの茶室との関わり。あるいは関わりのなさ。
堀口捨巳と、それ以降の建築家たちにとっての茶室。
内容はこんなところだろうか。その内容をちゃんと覚えていられればいいんだけど、
読んだそばから忘れてしまう。
唯一頭に残ったことは、
「利休が茶室を極小にしていったのは内側と外側を反転させた“壺中天”を
目指していたから」
藤森さん的には多分そういう結論。
唐突にこれだけいうと、なに言っとるかわからんと思うが、
本で実際に読むと、ワケワカランながら流れは追えて納得出来ます。
それは藤森さんの結論であり、定説ではないけれども。
この本では、豊臣秀吉までを中に(=茶室に)取り込めば、
この世の最高権力者がいることで茶室が公(=外界)になる、と書いてあった……筈。
内外反転の壺中天。
なるほど。けっこう納得した。
――が、むしろ利休の心としてはあえて秀吉を考えなくても
(権力者は移り変わるものだし)我がいる、ということだけで良かったと思う。
わたしも二畳の茶室というのは一体何を考えて……と思っていたが。
わたしはもっと現実的に、政治的な密談空間としてか、
そこまで考えなくても主に権力者との――そこまで言わずとも
他者との近接距離を求めてのものかと思っていた。
広間で5メートルも離れて座っていても関係性は深まらないでしょう。
でも二畳でせまっくるしくくっついて座っていたら親疎は極まる。良くも悪くも。
茶室に対する近代の冷淡などについては、
もう少し違う立場にいた人もいるのかもしれないなと思った。
押しなべて西洋を向いていた近代の建築家があえてにしても
茶室を無視するのは、それはそうだと思うが、
でも日本人に通底する美意識は拾えるのではないかと。
そんなことを言って、茶室から屋外を眺めないということさえ知らなかったわたしは
何も言えまい。でも言うけど。
あ、あと日本では「茶室を作る」という一言だけでいろいろな説明が出来ると。
何か趣きのある、趣味に走った、あまり実用性のない、小さい建物を作るんだと
伝わると。
これが外国人相手に「茶室」といっても通じないので、一から説明しないと
いけないと。
そして最後の磯崎新との対談は、――何度もこの組合せを読んでる気がするけど、
その度に話が難しくてヨクワカランと思うので、今後読む予定だった対談本は2冊、
課題図書リストから外しました。
面白かったです。わからないことも多かったけど。
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