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本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 木々康子「林忠正とその時代 世紀末のパリと日本美術」

2024年11月12日 | ◇読んだ本の感想。
1987年出版の本。女性学者の人文書が出るのは、この年代では珍しいかもなあ……と
思いながら読み始めたが、読んでいるうちに学者ではなくて、林忠正の小説を書いた人
という情報が出て来て「おや」と思い、さらに途中であとがきを読むと、
「祖父林忠正」という一文が出て来て「おやおや」と思った。

(ついでに言えば、Wikiでは「義祖父」とあったが、義祖父って?
いろいろな場合があるから義祖父ってだけ言われても難しいよね。
そう書くならば、その関係性まで書いといて欲しいなあ)

まあちょっと詳しすぎるきらいはあったけどね。
本人は評伝といってるが、むしろ史料的な価値を目指したんだろうと思う。
なので、林忠正の概観を一本道で辿るというよりは、パリにおける日本人の状況と
周囲の交友関係、日本美術のパリにおける状況の詳細がメイン。

少し引用が多すぎる&長すぎるとも感じた。
でもこういうの、以後、林忠正で本を書く人には本当に有難いんだと思うよ。
年表もあるし、索引もついてるし。
いや、密な内容で労作でした。

内容で一番印象的なのは、林忠正自身についてではなく、
明治初期の日本人美術商の常識においては「日本美術は大したことない。
中国美術こそ高級」という志向があったということ。
なるほど。浮世絵が価値を認められていなかったというのは理解していたが、
それよりもっと広い範囲で日本美術の価値が低かったのか。

それは美術商ならではの価値観ではあると思うけどね。
隣の八ッつぁんが作っている根付よりは、はるばる海を越えてきた美術品の方が
有難味があるし、それだけ高値を付けられる。
やっぱりブランド信仰というのはいつの時代でもあるだろうし。

が、そういうことを置いても、日本美術を認めるなんて
(高級)美術商の沽券にかかわるという風潮まであったとは想像しなかった。
いや、この本ではそこまで書いてあったわけじゃないが。人にもよるだろうし。


林の人物に焦点があまり充てられていなかったのが、少し物足りなかったかな。
まあそれは小説を読んだ方がいいんだろうけど。
書きぶりが冷静だった。身内のことを書いてる感はほぼ感じなかった。
身内のことだったらもう少しかばって書いても良かったくらい。
毀誉褒貶半ばする人物のようだから。日本美術を流出させた悪党だとかね。

でもこういう人が海外で流行らせなかったら、日本美術への日本人自身の評価は
低いままだったろう。
もちろん商売だし、利益を追求した部分も大きいだろうが、それとともに
日本美術の良さを広告した功績は大きいと思うね。

次は別の視点から見た林を読んでみたい。

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