うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

女の詩

2024年08月21日 | ことばを巡る色色
私は小中学校と委員長だった。委員長として、責務をstrictに実行した。
そして、カシコイオナゴであった私は、高校以降は委員長にならぬように過ごしてきた。

多くのカシコイオナゴは知っている。そうして賢明である故に計算をする。委員長などやる女子が男子からどのようにみられるかを。同じ仕事をしていても男子は責任感があり前向きに取り組んでいるとされるが、女子は出しゃばりだと後ろ指をさされ陰口を言われ疎まれることを、賢明である故にちゃんと想像してしまう。
よほどの覚悟か、事情を持たねば人の上にむやみに立つものではないとの算術をする。
賢ければ賢いほどそれがわかってしまう。自分を押し込め、にこにこと笑って身を潜め、誹謗中傷と徒労のリスクを避けようとする。

そんな私に、あの言葉は胸元に刃を突き付けるように迫ってきた。
 私を束ねないで 私を止めないで 私を注がないで 私を名付けないで

私は社会に 束ねられ止められ注がれ名付けられ、
私は自分を 束ね止め注ぎ名付けていた。

自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る。 精神の在り場所もハタから表札をかけられてはならない

オナゴというのは、居ながらにして、自分で束ねられないようにし、名付けられないようにし、自分の手で表札をかけねばならない存在である、のだ。

 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
と叱咤せねばならぬ存在である。

何もしなければ、束ねられ名付けられ他人に表札をかけられ感受性を守れない、のだ、残念ながら。
彼女らが謳った時から何十年もったったのに、残念ながら今もそれは続いている。そしてそれは男子をもである。男子も男子として束ねられ、名付けられ、表札をかけさせられ、感受性を守っていかねばならない。なんというめんどくさい社会であろう。

本当は誰もが
 だれかに あいたくて
 なにかに あいたくて
 生まれてきたーー
そんな存在であるはずなのに。だから、そんな存在に戻り生きていく、私は。

そして、
 立ち戻った健康の上
 消え失せた危険の上
 思い出のない希望の上に
 君の名を書く

 一つの言葉の力によって
 僕の人生は再び始まる
 僕の生まれたのは 君と知り合うため
 君を名ざすためだった
 リベルテ と


私を束ねないで/新川和江 表札/石垣りん 自分の感受性くらい/茨木のり子 あいたくて/工藤直子 自由/エリュアール
コメント
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