いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

私と母の物語2

2023-03-20 00:16:00 | 日記
泣いてはいけない

母は子どもが泣くことを、ひどく嫌った。
私は、もの心ついた頃から、泣くと厳しく叱られた。
泣き出しそうになると、「泣きやみなさい!」という母の怒声が頭の上で鳴り響く。
その大声に驚いて、私は自分の鳴き声と涙を押し込める。大きく息を吸い込んで、溢れてくる声と涙と鼻水を飲み込むのだ。
あの時の感覚、味とか匂いとか、未だに覚えている。たぶん、一生、忘れない。
ただ問題なのは、泣くという感情の発露を禁止された子どもは、その他の喜怒哀楽の感情も、上手に表現出来なくなる。
これが、その後の私の生づらさの原因となってゆく。

ただ、私の母はといえば、それはそれは、とても感情的な人なのだ。

私が小さな頃、母が大事に飼っていた小鳥が死んだことがあった。その時、母はその小鳥を握りしめて、ワンワン泣いた。
私は「泣いてはいけない」という絶対不文律を発令した張本人の母が、あたり構わず号泣する姿に戸惑った。それから、母に歩みよって「泣いたらあかんよ、泣いたらあかんよ、、」と母の肩のあたりを撫でさすったと思う。でも、この後が更に衝撃的だった。母はそんな私の小さな手を荒々しく振り払い「うるさい!」と怒鳴った。
悲しくても、辛くても、人は泣いてはいけないはずではなかったか? なのに、母は悲しい時には、泣いてもいいのか……
見事なダブルスタンダード。
思えば、こういうことは、その他にも、我が家にはたくさんあった。
子どもが子どもらしく泣くことは許されず、大人は実に感情的に振る舞う。そして、子どもが大人の心のお守りをする。私の家はそういう場所だった。

私と母の物語1

2023-03-19 23:59:00 | 日記
テレビ等でも時々お見かけする、女医のおおたわ史絵さんの著書「母を捨てるということ」を読んでみた。

いびつな母親と、その母親に物心両面で侵略され壊されそうになる娘の話し。
様々な依存症についての入門書のような一面もあった。
長らく続いたコロナ禍の期間、時々、否応なしに訪れる空白の時間の中で、ふと…思い出すのは、昔々の出来事たち。

暑い夏の日差し、長雨の匂い、夕焼けの空、、そういう景色が私の心の中に、小さな私を呼び覚ましてしまう。

私の母も、おおたわ先生のお母さんと同じように、いつも不機嫌な人だったな…と思った。

小学校から帰宅して、真っ先にすることは、母の顔色を見ること。母の気分は、予測不能にコロコロ変わるから。
その後は、たいてい、母の機嫌を損ねないように、大人しく過ごすことに終始していた。

また、母の思い込みや刷り込みも凄かったと思う。
子どもの頃の私は体格も良く、元来、運動神経も悪くはなかった。でも、母は私のことを誰にでも、必ず「この娘は、本当に、どぐさい子なんよ〜」とあざ笑うように話すのだ。本当にもう、いつもいつも、どんな時でも毎回そう言う。
そして、そう言われ続けると、私の無意識は、母の期待通り、本当にドジなことばかりする。母は様々、失敗を繰り返し、オロオロする私を見て、イライラして怒鳴ったり、馬鹿にしたりする。母はこういうコミュニケーションの方法しか、出来なかったのかもしれない。
その時、母にとって必要だったのは、自分の手中に収まらない自立した賢い娘ではなく、ドジで馬鹿な手の掛かる娘のほうだったのだろう。
これが、私と母の共依存の始まりだったと思う。

家族ゲーム

2023-03-19 23:39:00 | 日記
子どもの頃から、ずっと私に支配的だった母は今、私とのパワーバランスが逆転しつつある。すると、今度は、ひどく依存的になってくる。
ギリギリまで、老親夫婦2人での生活に、手出しをしないように距離をとっていたが、ついに、その生活にも限界が見えてきた。

あちらこちらに奔走し、公的な介護サービスも受けられるよう手配もしたが、母はそれでは満足しない。
今度は自分の弱さを武器にして、何としてでも、娘を取り込み、自分の支配下に置こうとする。
自分の思い通りに娘を動かしたいという、元来持っているコントロール欲求があらわになってくる。
そういう家族ゲームを母から仕掛けられるたびに、私はえも言われぬ虚無感に苛まれる。
「ああ、この人はまだ、こういうことをするんだ」と思うとゲンナリする。
そしてまた、情けないことだけど、どんなに気を付けていても、そういうゲームに巻き込まれそうになることがある。ただ、救いになっているのは、私の今の家族だ。夫と子ども達が、私の立ち位置がブレないように、しっかりと支えてくれている。
母の無理なわがままに、私の心が揺れることがあっても、娘は「そこまでは、したらあかん」とブレーキをかけてくれる。その言葉に、ハッとして助けられたことが何度もある。

母の常套句には「私がそう思うのは、あんたの為を思うからや」というものがある。
自分が不幸なのは父のせいで、自分がしたいことは、娘のため。母の言い分は、たいていそうだが、客観的にみれば、ほとんど自己中心的で自分勝手なことが多い。

ここで大事なのは、優先順位の付け方だ。
一番、大事なのは、私自身の心と体。それを損なうほど、母に尽くさねばならない理由は何一つない。私は私自身が何よりも健全に暮らせることを最優先にする。次に、私の夫と子ども達。それから、他の家族、親戚、友達…と優先順位の同心円は広がってゆく。
そのさじ加減を間違えると、私の人間関係は、たちまち混乱してくる。

さち子さん

2023-03-18 16:15:00 | 日記
さち子さんは、私と同年代。若年性認知症。運動機能に障害はない。色白でまる顔、年齢よりもずっと若く見える童顔だ。それに、とても大人しい。

動物が好き。小型犬を飼育していたそうで、犬の話しをすると頷いたり、微笑んだりする。気持ちの表し方は、たぶん、それが精一杯。問いかけには「はい」とだけ答えてくれる。「いいえ」はない。私には、それがちょっと違和感だった。

認知症の人には、拒否の言動を表す人が多いのに、さち子さんには、そういう特徴がいっさい無かった。何を言われても、はい、はい、、と繰り返すだけ。不潔行動が見られ、弄便や異食の行いもある。
さち子さんの年齢を考えると、なぜ、ここまで急速に病状が進んだのか?と私は少し疑問に思っていた。

さち子さんのキーパーソンは、高齢のお母さん。80代のお母さんが、50代の娘さんを介護する。大変、厳しい状況だった。
そのお母さんからの特別な指示事項は、さち子さんの息子さん以外、どんな人からの接触があっても、面会も電話も取り次がないで欲しいという事だった。特に男性は絶対禁止。

さち子さんには離婚歴があり、その後、いつ頃かは不明だが、内縁の夫との生活があったらしい。しかし、この男性との関係は今、断絶している。

さち子さんの体には、髪の毛以外の体毛が一切なかった。誰かに剃毛されていた。さち子さんの病状を利用して、さち子さんを弄んだ者がいたのだろうと私は想像した。病状が現れても側にいたのが、そういう虐待者だったのなら、とても不幸な事だ。














介護疲れ

2023-03-18 02:39:00 | 日記
今日…というか、もう昨日だな、、
実家への定期訪問。母の通院介助ほか、諸々の用事を済ませてきた。

母のコミュニケーションの取り方には、難がある。本心を素直に表現しない。
私は産まれた時からそんな母と一緒にいたわけだから、母の言葉とは裏腹の本当の本心が何か…という事はたいていわかる。わかるけど、毎度毎度、反対言葉を使ってゲームを仕掛けられるのは、心底疲弊する。
母自身は、無自覚にしている事だが、「言わなくても理解せよ」「私の心を読んで、私の欲するものを差し出せ」と要求されるのは、すごく不快。
空気を読むって、嫌い。それを強要する人も嫌い。

率直な言葉で、気持ち良くシンプルなコミュニケーションを取りたいと、いつも願っているが、叶ったことはない。
私は自分の愛と思い遣りの範囲で、出来ることはしようと思うけど、自分がしんどくなる程、無理なことはもうしたくない。