ここらでちょっと休まないと……。
伊那の仕事場に籠って作業中です。起きて作業、食事、寝て、起きて作業の繰り返しです。
昼も夜も関係ありません。
体力的には楽な作業ですが、神経は使うのでそれなりに疲れます。
この作業場には自宅よりも立派なバスルームがあるのですが、数年前の寒い冬にボイラーや配管
が凍結で壊れて以来、お湯が使えないのです。
替えのボイラーは用意したのですが、配管の修理もあって、結構手間取りそうで、現在保留となっ
ています。仮設配管でとりあえず何とかしようかと思っています。
とにかく、現状では風呂、シャワー無しなのです。
頭を洗うくらいは台所でヤカンのお湯を使って出来なくはないのですが、身体は「赤ちゃんのお尻
ふき」で拭くくらいです。
人に会うことは無いので、まあ良いかで済ませていますが、疲れが溜まっていく気がします。
重作業ときのようにガツっとは疲れませんが、徐々に命を削られていく感じ。
まだ大丈夫と思っているうちに、取り返しのつかないダメージが溜まる感じ。
ここで身体を壊しては元も子もないので、今日は午後から半日お休みにしました。
やっぱり風呂だよねっ!ということで。
まず、高遠さくらの湯へ。よく行くのは反対方向(山の中方向)の入野谷なのですが、買い物もあ
るので街場の方へ。
平日昼間は人が少なくて広々です。 ぬるぬるのアルカリ泉気持ちよすぎ!これでお肌つやつやね。
さくらの湯に貼ってあったポスター、高遠町歴史博物館の特別展「砲術家 阪本天山」が気になっ
たので、買い物の後、寄ってみることにしました。
近くを通るようになってもう何年も経つのですが、寄るのは初めてです。
大抵、仕事場に来る時は短時間の積み下ろしか、今回のようなお篭りのどちらかで、必要以上に
出歩くことは滅多にないのです。良いところなのですけどね。
敷地内には江島生島事件(絵島と書かれていることの方が多いので以下絵島)の絵島囲み屋敷
が復元されています。
後にはかなり自由になったらしいけれど、当初は腫れ物に触るような扱いだったようです。
画像クリックで拡大。読んでみて下さい。
絵島さん、流罪時には33、4歳だったらしいけど、今の感覚じゃ女の子だよねー。
まさか自分が門限に遅れたくらいで、江戸史上最大の粛清事件になるなんて思わなかっただろう
に。
彼女のお兄さんなんて斬首ですからね、切腹じゃなくて。全然関係ないのに。
どう考えても理不尽ですね。
生き抜くことが彼女の意地だったのでしょうか?
周発台(しゅうはつだい)という角度調整可能な移動式駐退復座砲台です。
ドーンと撃つと、砲身を固定した木の台(樫が指定材でした)が下の台の上をスライドして後退して
反動を受けるのです。縄の弾力と巻き取り機の摩擦で衝撃を吸収するようです。
下の台座は固定されていて、砲身を元の位置に戻せるので、2発目以降は微調整が出来ます。
これがないと、撃った時、砲台ごとドーンと後に下がって、また最初から照準し直しです。
これを1778年に発明したというのは画期的なことです。ヨーロッパに先駆けること30年とも言いま
す。幕末の頃でさえまだ一般的ではなかった構造です。
如何にも華奢ですが、当時の日本の大砲は百匁砲で口径4センチ程度、三百匁砲で6センチ程度
と小さく、これでも足りたのでしょう。連射はキツそうだけど。
坂本天山コトバンク(阪本か坂本かは定かでないらしい)
高遠からはいろいろと人物が出ていて興味深かったです。
何か、すごいよね。長年幽閉されても生き抜く女性とか、独自にハイテクを考え出す人とか。
僕の仕事関連では伊沢修二とかね。リードオルガンが教育の場に普及することになった立役者で
す。生家が保存されています。
仕事場に戻って、ひと寝入りしました。うん、かなりリフレッシュ出来ました。
また明日から頑張ろう。
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