自分のことを思い返してみるに、協調性に欠け、集団行動を嫌い、まあ、強いキャラクターだった僕に対しては、大抵、集団でかかってきましたね。
なので、幼い頃から多対一を切り抜ける訓練にはなったのですが。
今までで一番辛かったというか、不快だったのは、小学校6年の時です。
5年の3学期に転入した学校なのですが、いじめというか環境が合わなかったのです。
それまで居た小学校は、取っ組み合いのケンカ(殴るというのはルール違反で、投げ技、固め技がが基本でした)をしても決着が着けばお互いさっぱり仲直りといった、さわやかな環境だったのですが、その転入先の学校は、何か言いたい事があってもはっきり言わない、陰で悪口をいう、まともに話をしなくなるなどと、陰湿で、本当に気分が悪かったです。
この状況説明で、前者は暴力的で後者を非暴力的だと解釈する人達(ヤツらっていっていい?)も多いと思いますけど。
そんな大人の考えをちゃんと子供は読んでいるんですね。
まあ、そんな環境で、以前住んでいた場所へのホームシックになり、辛い時期でしたね。
自殺も考えましたし、自傷行為もありました。
その時のクラスに、時々意味不明でキレて暴れるヤツがいて、ある朝、僕が学校に行くと、そいつが階段の上から乾電池などを投げつけて襲いかかってきたのです。
訳もわからず、とにかく応戦して、そいつを抑えようとしたのですが、唾は飛ばすは、噛み付くは、引っ掻くはと大変で、僕も傷だらけになってしまったのです。
僕は必死でそいつをなんとか抑えて、回りに助けを求めたのです。
その時、同級生、ほかのクラスの連中は円陣になって回りを取り囲むだけでした。
たしかに、目を血走らせ、口から泡を吹きながら叫び暴れるそいつの姿は怖かったには違いない。
けれど、同級生のひとりが「もっとやれやれー」などと言った時、僕もさすがに堪えました。
本当にがっくりきました。
その時、面識もない隣のクラスのひとりが、「友達がこんなことになっているのに、やれやれーとはなんだ!」とその同級生の首根っこをつかんで怒ったのです。
本当にうれしかったなあ!
そして、それをきっかけにそれまで傍観していた回りの連中が、我に返ったように、止めに入って来たのです。
そして先生も来て、一応ことは収まったのでした。
後で、その襲って来たヤツにわけを聞いても「わからない…」ってことだったんですけど。
あの時の隣のクラスの彼のひとことが流れを変えたんですね。
皆、何とかしなきゃいけないと思ってはいたのだろうけど、その最初の一歩が踏み出せなかったのでしょう。
しかし、あの誰も助けてくれなかった時間の何と長かったことか!
中学生くらいまでの子供が、人間の未熟さゆえに過ちを犯すのは、仕方がない部分もあるし、その機会に大人がしっかり教育すべきことだと思います。
しかし、高校生やそれ以上、40代もいますな、そんな連中はどうしたもんでしょうかね。
その小学校も、それなりに馴染みはしたのですが、やはり、そこの連中とは合わなかったですね、ずっと気分が晴れることはありませんでした。
どうやらストレスによるもので、僕は左肩甲骨の辺にひどい帯状疱疹(ヘルペス)を発症し、今でもその部分は神経痛や感覚麻痺が残っています。
幸い、その地は一年ほどで離れる事が出来、僕は隣の市の中学校に行ったのです、そしてそこは、県内で当時最も不良が多いといわれたわりには良い環境だったのです。
あの頃の自分を思い出すに、緊急避難が出来る場と、自分を理解して助けてくれる人…出来れば親以外の大人…が欲しかったように思います。
とにかくあの場にいるのが辛かった。
僕も親として努力はしているつもりなのですが、時に親以外の大人が子供にとって必要なこともあると思います。
残念ながら、教師や政治がもし好転するにしても、早くて十年はかかるような気がします。
つまり、即効性は期待できないと思っています。
だから、僕自身も、どこかの子供の力になるべき時が来たとき何か出来るように、そのための「場」を持てるように、子供が心を開けるような大人になるように努力しているのです。
なので、幼い頃から多対一を切り抜ける訓練にはなったのですが。
今までで一番辛かったというか、不快だったのは、小学校6年の時です。
5年の3学期に転入した学校なのですが、いじめというか環境が合わなかったのです。
それまで居た小学校は、取っ組み合いのケンカ(殴るというのはルール違反で、投げ技、固め技がが基本でした)をしても決着が着けばお互いさっぱり仲直りといった、さわやかな環境だったのですが、その転入先の学校は、何か言いたい事があってもはっきり言わない、陰で悪口をいう、まともに話をしなくなるなどと、陰湿で、本当に気分が悪かったです。
この状況説明で、前者は暴力的で後者を非暴力的だと解釈する人達(ヤツらっていっていい?)も多いと思いますけど。
そんな大人の考えをちゃんと子供は読んでいるんですね。
まあ、そんな環境で、以前住んでいた場所へのホームシックになり、辛い時期でしたね。
自殺も考えましたし、自傷行為もありました。
その時のクラスに、時々意味不明でキレて暴れるヤツがいて、ある朝、僕が学校に行くと、そいつが階段の上から乾電池などを投げつけて襲いかかってきたのです。
訳もわからず、とにかく応戦して、そいつを抑えようとしたのですが、唾は飛ばすは、噛み付くは、引っ掻くはと大変で、僕も傷だらけになってしまったのです。
僕は必死でそいつをなんとか抑えて、回りに助けを求めたのです。
その時、同級生、ほかのクラスの連中は円陣になって回りを取り囲むだけでした。
たしかに、目を血走らせ、口から泡を吹きながら叫び暴れるそいつの姿は怖かったには違いない。
けれど、同級生のひとりが「もっとやれやれー」などと言った時、僕もさすがに堪えました。
本当にがっくりきました。
その時、面識もない隣のクラスのひとりが、「友達がこんなことになっているのに、やれやれーとはなんだ!」とその同級生の首根っこをつかんで怒ったのです。
本当にうれしかったなあ!
そして、それをきっかけにそれまで傍観していた回りの連中が、我に返ったように、止めに入って来たのです。
そして先生も来て、一応ことは収まったのでした。
後で、その襲って来たヤツにわけを聞いても「わからない…」ってことだったんですけど。
あの時の隣のクラスの彼のひとことが流れを変えたんですね。
皆、何とかしなきゃいけないと思ってはいたのだろうけど、その最初の一歩が踏み出せなかったのでしょう。
しかし、あの誰も助けてくれなかった時間の何と長かったことか!
中学生くらいまでの子供が、人間の未熟さゆえに過ちを犯すのは、仕方がない部分もあるし、その機会に大人がしっかり教育すべきことだと思います。
しかし、高校生やそれ以上、40代もいますな、そんな連中はどうしたもんでしょうかね。
その小学校も、それなりに馴染みはしたのですが、やはり、そこの連中とは合わなかったですね、ずっと気分が晴れることはありませんでした。
どうやらストレスによるもので、僕は左肩甲骨の辺にひどい帯状疱疹(ヘルペス)を発症し、今でもその部分は神経痛や感覚麻痺が残っています。
幸い、その地は一年ほどで離れる事が出来、僕は隣の市の中学校に行ったのです、そしてそこは、県内で当時最も不良が多いといわれたわりには良い環境だったのです。
あの頃の自分を思い出すに、緊急避難が出来る場と、自分を理解して助けてくれる人…出来れば親以外の大人…が欲しかったように思います。
とにかくあの場にいるのが辛かった。
僕も親として努力はしているつもりなのですが、時に親以外の大人が子供にとって必要なこともあると思います。
残念ながら、教師や政治がもし好転するにしても、早くて十年はかかるような気がします。
つまり、即効性は期待できないと思っています。
だから、僕自身も、どこかの子供の力になるべき時が来たとき何か出来るように、そのための「場」を持てるように、子供が心を開けるような大人になるように努力しているのです。
あれこれといろいろ考えて、ひとつの重要なテーマとして書き続けていきたい気がします。
認証後公開の設定にしていますが、バックヤードにもトラバは来ていないようです。
ウイルスを撒くヤツらがいなければ、HTMLのメールが普通に使えてもっと楽しいメールが出来ますし、ジャンクトラバを送るヤツらがいなければ、本来自由な交流のためのトラバ機能に制限を加える必要もなくなります。
攻める側と守る側がいたちごっこを繰り返すたびに、コンピューターやネットワークのシステムは無用に肥大化して、それがゆえのトラブルが発生します。
そしてさらにそのトラブルを修正するため…。
まさに連鎖です。
この流れ、なんとかなりませんかね。