前回の記事を書く時に、昔を思い出していたら出て来たこと。
僕は、小学校3年くらいまでは、授業中ふいに大声を出したり、勝手な事をしたりと、多動症児のようであったので(どうもその特性はかなり持ってるようです)先生たちは相当手を焼いたようです。
その時の担任は若い男の先生でずいぶんとぶっ飛ばされもしたのですが…。
ある時、その先生が放課後に僕を教室に残して、作文を書けというのです。
内容は自分の生い立ちというのですが、いったいどこから何を書けばいいのか、わかろうはずもなく、小さい頃のこと、うれしかったこと、忘れられないことなどを、問われるままにぽつぽつと話したのです。
一時間あまりも話をしたでしょうか、遅くなったので、先生の車で家まで送ってもらいました。
結局、作文は書きませんでした。それは単に僕と話をするためのきっかけだったのかも知れません。
説教するでもなく、わずかに質問をし、あとはただ相づちを打って話を聞く。
極めて正統的なカウンセリングの手法です。
当時その先生は20代だったわけですが、大したものです。
本当に手を焼いた問題児に対して、いろいろ勉強して一生懸命アプローチしたのでしょう。
まあ、いくらぶっ飛ばしても効かなかったわけですし(笑)。
僕にとっては大人がじっと僕の話を聞いてくれるという経験はたぶん初めてでした。
そういったことは、その時ただ一度でしたが、安心感と信頼感は確実に生まれました。
まあ、問題行動はそうそう収まりませんでしたが(笑)。
しかし、あの頃が僕にとってはひとつのデリケートかつ危険な時期だったのは確かで、そこでマズい方向に行かなかったのは、その先生のおかげでした。
僕は、小学校3年くらいまでは、授業中ふいに大声を出したり、勝手な事をしたりと、多動症児のようであったので(どうもその特性はかなり持ってるようです)先生たちは相当手を焼いたようです。
その時の担任は若い男の先生でずいぶんとぶっ飛ばされもしたのですが…。
ある時、その先生が放課後に僕を教室に残して、作文を書けというのです。
内容は自分の生い立ちというのですが、いったいどこから何を書けばいいのか、わかろうはずもなく、小さい頃のこと、うれしかったこと、忘れられないことなどを、問われるままにぽつぽつと話したのです。
一時間あまりも話をしたでしょうか、遅くなったので、先生の車で家まで送ってもらいました。
結局、作文は書きませんでした。それは単に僕と話をするためのきっかけだったのかも知れません。
説教するでもなく、わずかに質問をし、あとはただ相づちを打って話を聞く。
極めて正統的なカウンセリングの手法です。
当時その先生は20代だったわけですが、大したものです。
本当に手を焼いた問題児に対して、いろいろ勉強して一生懸命アプローチしたのでしょう。
まあ、いくらぶっ飛ばしても効かなかったわけですし(笑)。
僕にとっては大人がじっと僕の話を聞いてくれるという経験はたぶん初めてでした。
そういったことは、その時ただ一度でしたが、安心感と信頼感は確実に生まれました。
まあ、問題行動はそうそう収まりませんでしたが(笑)。
しかし、あの頃が僕にとってはひとつのデリケートかつ危険な時期だったのは確かで、そこでマズい方向に行かなかったのは、その先生のおかげでした。
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