これも大洲でのこと。
すっと前、多分80年代末か90年代初め、Kオルガン工房で親方が持ってきたボロボロのリードオルガンを修復したのでした。
欠品も多くて、結構部品を新作したものです。
おそらくこれが僕がリードオルガンを修復した第一号です。
側板(がわいた)はたいてい割れるものですが、その修理の際に「ちぎり(契り)」を入れてみたのでした。
これは割れを防いだり、二枚の板を繋げたりするものです。
蝶々型のヤツね。
以前の記事
劣化するプラスチックとどう付き合うかについて考える
でも参考リンクしている陶磁器の繕い方法、金接ぎとか蒔絵接ぎとかは30歳になる前から好きでね。
補修なんだけれど、それを隠そうとしないで装飾にしてしまうセンスというのはすごく良いと思います、今でも。
また、一般に学術的な修復でも補修箇所がわかるようにします。
ま、単にやってみたかっただけなんですけどね。今でもしっかりしているようです。
良い仕事だねー。
ふいごは一度張り替えられたそうです。材質が悪かったそうで。
今も活躍しているそうです。
ご自宅での前夜式(キリスト教のプロテスタントのお通夜みたいなもの)に持って行ったりして。
その話は衝撃的でした。小さく軽く、だれにでも扱えるオルガンであるが故に、生活に密着した場で活用されるのです。
それはパイプオルガンが未だ入り込めない領域。だけれども大事な領域。
うーむ、これは考えさせられる。
君を直して本当に良かった。 君が今も人々の役に立っていることもうれしいし、重要なメッセージを僕にくれた。
ありがとう。
>小さく軽く、だれにでも扱えるオルガンであるが故に、生活に密着した場で活用されるのです。
それはパイプオルガンが未だ入り込めない領域・・・・
・・・・本当に考えさせられますね。
少し話題からそれて違うかもしれないけれど、世のなかに「高級品」「プロ用」の道具・楽器 etc・・・・・しかなかったら、きっとすそ野の広がりがなくて、後継者も育たなくなるかもしれませんし、「全く別のもの」にとってかわられるかもしれませんね。
そういう意味で、「普及品」の存在価値があるのかなあ・・と思うけれど、どこに拘わり、どこを妥協するか?・・は悩ましいところなのでしょうね。
・・・安物しか持てない私めの言い訳なのですが。
今日、カブで買い物に出た時思いました。
これだ!
結構チープな作りだけれどエンジンの出来はとても良く耐久性も素晴らしい。
普及品だけど一生モノ。
これですよ!
スーパーカブみたいなパイプオルガン!
うーむ!