水戸から帰ったと思ったら名古屋だった。
移動はすべて軽トラ。ちょっとしんどいかな。
エアコン無しでも楽な季節になって来たけれど、窓を開けて風を受けて走るのでそれなりに疲れる。
軽くて燃費の良い軽自動車があったら良いな、心がけておけばそのうち出物が見つかるかも知れない。
さて、名古屋の帰り道、中津川から岩村町を通って長野の平谷村に入って飯田を通るルートにしました。
岐阜ー長野県境あたりがちょっと山深いけれども概ね走りやすいルートです。
交通量も少ないですし。
今回は岩村町に寄ったのでした。
古い町並みで有名です。古民家もよく残っています。
随分昔に一度来たことがあります。昔よりきれいになっているかな。
岩村のおみやげはカステラが有名。長崎で学んだもので古い形がそのまま残っているそうです。
一般に文化は伝播した周辺部の方が発祥地よりも古い状態で残る事が多いといいますが、これもそうですね。
今回は松浦軒本店
まあ、こういうのは大体3つの流れ、本家と元祖とマネっ子(二郎風に言えばインスパイア店)があるものです。
大抵は親戚間のアレコレとか、番頭さんの独立とか、ドロドロの歴史があったりするのでそこはスルー。
ちなみに、うちの隣の高遠には高遠まんじゅうと高遠城址まんじゅうがありますが、さてねえ。
ささっと見て回って発進。城跡の石垣も見ものなのですが、今回はパス。
峠の上りで眠くなったので、ちょい仮眠。ヘッドライトをつけっぱなしだったのでバッテリー上がり。
だがしかし、傾斜地では何の恐れもない!バックで少し下って始動。
平地でも10m未満で押しがけが出来るワタシには問題なし。
長野県に入って平谷村、道の駅のところで警察が大規模に道路封鎖。
反転180度で回避かっ?いやここは何事もなかったかのように……。シートベルトよし。ズボン履いてる。
警察集団にビビるワタシ。
交通安全キャンペーンでした。
安全運転は大事だねっ。
りんごとナシと反射ベルトとパンフレット。交通安全なのに特殊詐欺防止。
特殊詐欺いわゆるオレオレ詐欺の被害は甚大なようです。
前から気になっていた浪合神社に寄りました。尹良親王を祀ってあります。
僕の住む伊那市長谷に縁の深い宗良親王の子ということになっていますが実在は疑われていますね。
ユキヨシという名は「行き良し」ということで道祖神的な旅人の守護神だとも言います。
実際のところ御霊信仰だよねー。祟りを為す(と思われる)者を信仰することですね。
崇徳天皇とか菅原道真のように祟りを受けるのが都の貴族ならともかく、地元の人だといろいろ差し障りがあるので歴史には残りにくいものです。
地元の郷土史家の自費出版の本などが有用な資料ですが、ネットには上がって来ない事が多いし、いずれ消えて行くのでしょう。
今回もまた仕事の移動に過ぎない移動を旅として楽しむ事ができました。
色々と心に刻まれたことは必ず自分の糧になると思っているのでOK。
・・うーんなるほど納得です。
元祖・本家がそのものを作った「設計思想」「発想」「必要とされた要求」などは考えず、ただ、「形」だけを「神聖にして変えてはいけないもの」にしてしまう傾向が・・・いろんな場面であるような・・・・
まぁ、それによって「古い形が保たれている」こともあるので一概に悪いとは言えないのですが・・・
博物館に展示するものは別として、「使っていくべきもの」は「要求」が変われば、それにあわせて「変えて」いっても良いような気もしますが、・・・・
最近加齢によりヒガミっぽくなったせいか、そんな風に考えてしまうのです。
その割には田舎の郷土資料館にある機織機なんかは、糸が張ってないのしか展示してないから、若い人には理解できない・・なんてこともありますね。
文化が発祥の地より伝播先での方が古い形で残るというのは、洋の東西を問いません。
イギリス英語よりアメリカ英語の方が古い形のようですし、日本の笙は奈良時代頃から全く変化していないそうです。
そこにどういう心理があるのかは推測するしかないわけですが、何かを生み出すということその行為自体が原型、祖型となるものの改良、改変が多いわけです。全くのゼロから何かが生み出されることはあまり無いのです。
対して、輸入されたモノや知識はそれ自体を守らなければならないということがスタートにあるため、保守的になるのかもしれません。
一方で、かつてのソビエトや日本のように、受容したものを「魔改造」することもあるあるわけですね。