ひぐちさんのブログでのやりとりで思い出したことがあります。
もう、10数年前、合鴨をしたことがありました。
多少、残酷な描写がありますので、苦手な方はご遠慮ください。
当時、農業青年だった(そして今は農業中年)O君はその年、合鴨農法を試したのでした。
そして秋、役目を終えた合鴨たちは、もらわれていったり、引き続き飼われるなどして、その残りは業者に引き取られることになりました。
食の根源にこだわるO君は、最後まで自分達で面倒をみるべきではないかと考えたのです、それはつまり、自分達で殺して、羽をとり、内蔵を抜くなどの処理をして、肉の状態にするということです。
何かを食べるというのは、ほとんどの場合、他者の命を奪う行為の上に成り立っています。
ただ、その瞬間は、分業制によって、多くの人は見ることがありません。
魚までは、経験する機会も多いのですが、合鴨となるとさすがに…。
しかし、食の根源に関わる農の人間として、その瞬間を一度くらいは経験すべきではないかと、悩んだ末に彼は、決行することにしたのです。
そして僕が呼ばれたわけです。なにかを崩すだの壊すだのの話になるとお声がかかるんですね。
僕も、そんなことはやったことなかったので、よくよく考えてみたのですが、要は、消化管、特にその末端の腸を破かないで出せばいいのだろうと、それだけに注意することにしました。
O君が近所の年配の経験者に話を聞いてみても、意外と皆、記憶があいまいなようで、もうひとつ手順がはっきりしなかったそうです。
当初考えた手順は、
まず、トンカチで頭を殴って気絶させ、その後、逆さに吊って首を落とし、血を抜いてから、大釜で湧かした湯につけて羽をむしり取り、内蔵を抜いて完了というものでした。
さっそく、第一羽目。
元野球部のO君が自ら、トンカチで合鴨の頭を打ちました。
ところが、鴨はパニックになり大暴れしてしまったのです。
実は、首の後ろを殴って気絶させる演出はよくドラマでも使われますが、まずそういうことはないそうです、実際の事件でも、ドラマのようにはいかず、加害者、被害者ともにパニックになって結果メッタ打ちということが多いそうです。
彼もまさにその状態になってしまい、二打目、三打目と繰り返すことになり、頭蓋骨が割れてようやくおとなしくなったのですが、せめて一撃で意識を失って欲しいと望んでいた心やさしいO君はすっかり気落ちしてしまったのです。
こんなことなら最初から首を落とした方がいいんじゃないかと僕が言ったので、いいだしっぺとして実行することに。
あらかじめ逆さに吊って、パニックになっている合鴨の頭を優しくなでで、声をかける。
「はーい、大丈夫だよー。すぐ済むよー」
そしておとなしくなったところで首に包丁を当てて、気合い一閃!
ガーガー騒いで、羽をバタバタしている鴨、僕の手にはその首が。
切られた首に意識があるかという命題はギロチンが開発されたときに随分と議論されたようですが、現在は直ちに意識は失われるとなっているようです。
そして、女衆の手で、湯に浸けられ、羽をむしられた体を僕が腹を切り開いて、内蔵を出したのです。意外とうまく出来ました。
こうして、若干の手順の修正を加えながら、数羽を処理し、O君が自ら首を切るのに挑戦したところ、切り損じて切り直しになってしまったのです。
それを機に終了となりました。
片付けた後、皆で口数少なくお茶を飲んでいた時、O君の奥さんがおもむろにアルバムを取り出してきて、合鴨たちの小さな頃の写真を見せたのでした。
「かわいかったねー、まさかこんな最後になるなんてねー」
O君をはじめ、お通夜の雰囲気でした。
僕は、首切り人の役得として、砂肝とレバーをもらって帰ったのですが、特にレバーが、クセも無く、甘くておいしうございました。
あれほどおいしい鴨のレバーはその後も出会っていません。
もう、10数年前、合鴨をしたことがありました。
多少、残酷な描写がありますので、苦手な方はご遠慮ください。
当時、農業青年だった(そして今は農業中年)O君はその年、合鴨農法を試したのでした。
そして秋、役目を終えた合鴨たちは、もらわれていったり、引き続き飼われるなどして、その残りは業者に引き取られることになりました。
食の根源にこだわるO君は、最後まで自分達で面倒をみるべきではないかと考えたのです、それはつまり、自分達で殺して、羽をとり、内蔵を抜くなどの処理をして、肉の状態にするということです。
何かを食べるというのは、ほとんどの場合、他者の命を奪う行為の上に成り立っています。
ただ、その瞬間は、分業制によって、多くの人は見ることがありません。
魚までは、経験する機会も多いのですが、合鴨となるとさすがに…。
しかし、食の根源に関わる農の人間として、その瞬間を一度くらいは経験すべきではないかと、悩んだ末に彼は、決行することにしたのです。
そして僕が呼ばれたわけです。なにかを崩すだの壊すだのの話になるとお声がかかるんですね。
僕も、そんなことはやったことなかったので、よくよく考えてみたのですが、要は、消化管、特にその末端の腸を破かないで出せばいいのだろうと、それだけに注意することにしました。
O君が近所の年配の経験者に話を聞いてみても、意外と皆、記憶があいまいなようで、もうひとつ手順がはっきりしなかったそうです。
当初考えた手順は、
まず、トンカチで頭を殴って気絶させ、その後、逆さに吊って首を落とし、血を抜いてから、大釜で湧かした湯につけて羽をむしり取り、内蔵を抜いて完了というものでした。
さっそく、第一羽目。
元野球部のO君が自ら、トンカチで合鴨の頭を打ちました。
ところが、鴨はパニックになり大暴れしてしまったのです。
実は、首の後ろを殴って気絶させる演出はよくドラマでも使われますが、まずそういうことはないそうです、実際の事件でも、ドラマのようにはいかず、加害者、被害者ともにパニックになって結果メッタ打ちということが多いそうです。
彼もまさにその状態になってしまい、二打目、三打目と繰り返すことになり、頭蓋骨が割れてようやくおとなしくなったのですが、せめて一撃で意識を失って欲しいと望んでいた心やさしいO君はすっかり気落ちしてしまったのです。
こんなことなら最初から首を落とした方がいいんじゃないかと僕が言ったので、いいだしっぺとして実行することに。
あらかじめ逆さに吊って、パニックになっている合鴨の頭を優しくなでで、声をかける。
「はーい、大丈夫だよー。すぐ済むよー」
そしておとなしくなったところで首に包丁を当てて、気合い一閃!
ガーガー騒いで、羽をバタバタしている鴨、僕の手にはその首が。
切られた首に意識があるかという命題はギロチンが開発されたときに随分と議論されたようですが、現在は直ちに意識は失われるとなっているようです。
そして、女衆の手で、湯に浸けられ、羽をむしられた体を僕が腹を切り開いて、内蔵を出したのです。意外とうまく出来ました。
こうして、若干の手順の修正を加えながら、数羽を処理し、O君が自ら首を切るのに挑戦したところ、切り損じて切り直しになってしまったのです。
それを機に終了となりました。
片付けた後、皆で口数少なくお茶を飲んでいた時、O君の奥さんがおもむろにアルバムを取り出してきて、合鴨たちの小さな頃の写真を見せたのでした。
「かわいかったねー、まさかこんな最後になるなんてねー」
O君をはじめ、お通夜の雰囲気でした。
僕は、首切り人の役得として、砂肝とレバーをもらって帰ったのですが、特にレバーが、クセも無く、甘くておいしうございました。
あれほどおいしい鴨のレバーはその後も出会っていません。
釣りで「しめる」とは、脳天を砕いて命を奪うことなのです。富山の釣友はこれの天才で、人差し指でぽこっとはじいただけで魚をすみやかに天国に送ってしまうのですが、いかんせん不器用なぼくは、何度岩に頭を叩きつけても、岩魚はびくびくと尻尾を打ち振るのです。
「すまん。俺なんかに釣られて!」
それでも何度か頭をぶつけて、ようやく「しめる」ことに成功したのですが、おかげで、フライフィッシング最初の一尾の思い出が惨々たるものに(笑)。
ところで、鳥の腑抜きですが、器用な鳥猟師は、たとえば撃ったコジュケイのお尻の穴からYの字の枝を入れて、くるくるとまわし、腑のほとんどを巻き付けてお尻から抜き取るそうです。
そこまでの達人になるには大変でしょうね。
トラバさせてもらいました。自分からは初トラバです。ありがとうございます。
魚のしめ方、鳥の腑抜き、人生には実に様々な達人がいますね。
そういえば、僕も昔、カエルの麻酔(といわれた)を随分訓練しました。
足を持って、背中側を水面に叩き付けると、ぴくぴくと痙攣してしばらく動かなくなります。
はい、ご想像の通り、逃げられたり、そのまま絶命されたりしました。
かなりの数練習しましたが、結局うまくならず、大量の犠牲者を出しただけでした。合掌。
ぶったまげました。
でもそれが彼らの毎日の仕事。
僕も昔、香港で夜間に道路を塞いで開かれる屋台に行ったことがあります。
調理場も脇には様々な動物の入ったかごがあって、動物園のようでした。
食べたい動物を指差すと、直ちにストーン、タンタンと刻んで、ジャッと炒めて出来上がりでした。
うーん、すごいと思ったものですが、日本でも、うなぎ屋で次々と捌いていくのを見せるところもありますから、大差ないのかも知れません。
人間は、かなりヤバいことでも、繰り返すことで感覚が麻痺するという特性があります、だから、自分が食べるもの(=命を奪う対象)に対して、痛みを感じるくらいのスタンスで接することが良いのではないかと思います。
また、どうぞ!