吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

仕事場への旅

2008年11月27日 | 自分のこと
仕事場への旅の様子です。各写真はクリックで拡大します。

最近は、長谷の仕事場への移動を楽しんでおります。
移動しなければならないという負担だったのが、小さな旅気分になっているのです。
そうして気分を変え、視点を変えて見ると、なんと素敵な道のりであることかと、今更ながら感動しているのです。
自然もあり、歴史もある道のりをちょっと紹介します。

今回のルートは八ヶ岳側から、金沢林道を上り、芝平(しびら)峠、そこから芝平の集落へ下りて、長谷へと行きます。
今回は、荷物を持って帰る関係で軽トラです。

まずは金沢林道です。
先日、夕暮れのこの道をラリー車並の走りで駆け下りてしまったのですが、日のある時間にゆっくりと風景や史跡を楽しみながら走ります。

まだところどころですが、道に雪が積もっています。
ここは南アルプスの北斜面で、特に日の射さない谷はわずかな雪でも融けないのです。
林道ではライトを点けてゆっくり走るのがエレガントです。


この山は金鶏金山と呼ばれる古い金山で、武田信玄の頃から江戸末期頃まで採掘が断続的に続けられていたらしいです。

ふと目に止まった看板をたよりに車から降りてみます。
山の神?

このエピソードも興味深いのですが、気になったのはその脇の看板。
有刺鉄線の囲いと、この看板の文言が、きのこ山というものの洒落では済まない面を表していますね。
山の神の石碑は見たかったのですが、この結界を破ってまで見に行く気はしません。


少し行くと、信玄の時代の露天掘りの跡という場所を過ぎて、金鶏金山の案内看板があります。

千軒平というのは家が多いという意味で、実際にはまさか千軒もないでしょうが、盛っていた様子を示すものとして同様の地名は他にもあります。
この山奥に鉱夫たちがたくさん生活していて、彼らのためのお店や市なんかもあったかもしれない、遊女もいたかもしれない。
別の金山では、金山閉鎖後、遊女が機密保持のため皆殺しにされたという伝承があります。
想像は尽きませんね。いずれゆっくりと散策してみましょう。

芝平峠を越えて下ります。3キロほどの未舗装路で、集落跡に入ります。
妙にきれいな看板


いや、ここが生活道路なわけないです。
結構古い看板だと思われますが、やけにきれいです。
ここ信州は車の廃車体マニアの聖地としても有名なところです、つまり鉄モノが痛み難いのです。
ちょっと看板のところの枝道に入ってみます。

ここまで

チェーンソーを装備しているので、この倒木を切って進むことも出来なくはないのですが、寄り道はそこそこにしておきましょう。

これは学校跡?

観察するに、釘やボルト締めが多用されていることから戦後の仕事のようです。
その廃墟の下には、潰れた建物があります。

潰れた建物


ふと、足元を見るとそこには…
隊長!骨ですっ!

まあ、人ではありませんな。

本道に戻って進むと、人の気配のある集落に入ります。
この芝平地区は昭和53年に、高遠へ集団移住して廃村になっていますが、その後、都会からアート系などの人が入ってきて、新しいコミュニティとして再生しているそうです。
時代の流れで700年余の歴史をひとたび閉じてしまってもなお、この土地には力があるようです。
いずれ、僕もこの地の人々と交流するかもしれません。
「芝平」で検索すると、興味深い情報がヒットします。

さて、これだけの旅で2時間ちょっと。遠回りの舗装路移動と大差ない時間ですが、旅気分たっぷりです。

長谷からの帰りは、荷物の関係で、舗装路での移動となりましたが、ちょっと裏道を。
高遠城址を通って、杖突街道に出ます。
重要人物!

Wikipedia 伊沢修二

この人は日本の音楽教育の黎明期の重要人物です。
特に、リードオルガンの普及には深く関わっています。
なんか縁ですね。

長谷の奥、大鹿村やそこから静岡に抜ける秋葉街道もロマンがいっぱいの道です。
いずれ行きます!楽しみです。
冬に元気になる僕は、ネコではなくてユキヒョウだったのか?

このブログでは、音便形の「ひろなん」、mixiでは本来の形の「ひろにゃん」と使い分けていたのですが、わかりやすい方の「ひろにゃん」に統一します。
どうぞよろしく!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿