FBに上げた写真をまとめてこっちにも。
確か「古い写真」というシリーズをやろうとしていた形跡はあるのだけれど、まあ、新規で。
時は1986年。
ゴルムドから下から2番めくらいのランクのバスでチベットのラサに行った時の写真いくつか。
1泊2日の行程だったかな。
途中のタングル峠は標高5,000m越えで、宿泊時におそらく高山病で頭痛がひどかったのでした。
詳しい話はまたいずれとして、写真を淡々と。
謎の日本人らしき人物が。
何故か道路に土盛りが。乗客を降ろして突破。
旧式バスはフロントエンジンで、エンジンルームのある車両前部は仕切られていてスタッフルームのようになっています。
ポタラ宮。ラサは標高3,700mくらいで、高山病は収まりました。
ラサの街の半分くらいは同化政策のためと思われる漢人街で、普通の建物です。
正直、頽廃的な雰囲気が漂う暗い雰囲気の街でした。
2泊ほどはそこで過ごたのでした。
チベット人の街の宿、吉日旅舎(キーリーと西洋人は呼んでいた)に移ったところから快適チベットライフが始まったのでした。
ジョカン(トゥルナン寺)
早朝、街外れの鳥葬の場に見に行ったのですが、僕は見られませんでした。
僕がラサを離れた翌日、見ることが出来たそうです。
鳥葬の岩。上に居るのはナガサワくん。岩と周辺は血のりでベトベトです。
岩の上にある窪みは切り分けたボディをさらに細かく砕く臼の役目です。
坊主頭であった僕は僧侶だと思われたようで、ポタラ宮で入場料を払ったらお金を返されたり、街を歩くと子供たちが僕に手を合わせたり、僕の手を取って自分の頭に乗せたりと信仰を集めてしまったのでした。
子供からお金を差し出された時はさすがに受け取るわけにはいかないと思ったので、一度お金を受け取って合掌して光明真言とか六字真言とかを唱えてからお金を返すという「儀式」を考えたのでした。
白い人影が見えたり、角を曲がった向こうに居る知人を感知出来たりと妙な覚醒をしたチベット滞在だったのでした。
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