一行はさほど急ぎもせずに移動し、事故もなくロシュフォール(英海軍により封鎖中)に到着できた(7月3日午後8時)。港には皇帝をアメリカに運ぶはずのフリゲート艦2隻が出航準備を整え待機していた。

フーシェは「あらゆる実力手段に訴えて」皇帝を直ちにラサール号に乗艦させること、またフランス国土への再上陸は禁止する旨を指示してきた(7月7日夜)。かくては皇帝は言われるままに、艦に移るよりほかはなかった(8日午後7時半)。
翌7月9日、パリより新たな訓令が届き、もしイギリスに赴く意向ある場合にはイギリス艦との交渉を許し、アメリカ行きの場合には従来方針に変更なしという。
ナポレオンも事情は知らぬながらも気持ちが動き、沖合に停泊しているイギリス艦と接触し、相手国政府の意向をじかに質そうと考えた。まさにその使命を帯びてラスカーズ侍従はベレロフォン号を訪れ、メイトランド艦長と会談に入った(7月10日午前7時)。

フランス使節はなにも知らなかったが、メイトランドの手許にはイギリス政府より、ボナパルトの逃亡を阻止するため船舶の臨検を強化し、本人を捕らえた場合には最寄りのイギリス港に連行せよとの内密の指示がすでに届いていた(7月1日)。
(参考文献:両角良彦『セントヘレナ落日』)
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