長崎氏は指摘する。
「日本ではインド大反乱について、太平天国、明治維新と並列して考えようとする態度が羽仁五郎以来受けつがれてきた。それは無論意味のあることだが、ただインド人は、むしろ、クリミア戦争におけるイギリスとロシアの役割や、イラン情勢、アフガニスタンの動きを見ながら反乱を起こしている事実に注目しておかねばならないだろう。1850年代のインド人の国際感覚にたいしても、誤解は避けるべきだと思われる。」(長崎暢子『インド大反乱1857年』より抜粋)

第一次アフガン戦争から第二次アフガン戦争までのアジア・極東地域における軍事衝突。インド大反乱前後20年の動向。
1839~42年、第一次アングロ・アフガニスタン戦争
1842年、パンジャブの征服
1851~64年、太平天国の乱
1853~56年、クリミア戦争
1853年、浦賀沖にペリー率いる4隻のアメリカ艦隊が停泊(黒船来航)
1854年、カムチャツカ半島で英露が武力衝突(ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦)
1854年、日英和親条約
1855年、日露和親条約
1856~57年、アングロ・ペルシャ戦争
1857~58年、インド大反乱(セポイの乱)
1858年、日米修好通商条約
1860年代、ロシア・ブハラ戦争
1861~65年、アメリカ南北戦争
1868~69年、戊辰戦争(明治維新)
1871年、アメリカによる漢江侵攻(辛未洋擾)
1870年代、ロシア・トルクメニスタン戦争
1873年、ヒヴァ占領
1875年、コーカンドの反乱
1878~80年、第二次アングロ・アフガニスタン戦争(ワトソン博士が軍医として従軍)