蜀軍の別動隊は西羌の戦車部隊の前に大敗北をきっし、孔明がみずから西平間へむかうこととなった。
ところで、吉川英治『三国志』の連載開始は1937年8月であるから、日中戦争におもむいている日本兵のおおくはこれを読んでいるはずだ。西羌との戦いは1939年5月〜9月のノモンハン事件をほうふつとさせるものである。以下、抜粋。
「『かくて西平間に着くや、孔明は、直ちに出迎えた馬岱を案内として、高地にのぼり、羌軍の軍容を一眄した。そしてかねて聞く無敵鉄車隊の連陣をながめると、呵々と一笑し、『量るに、これはただ器械の力。これしきの物を持つ敵を破り得なくてどうしよう。姜維はどう思うか』 と、傍らを見てたずねた。」