●災害の現実 次の災害の間の心得
◆震災10年 放送されぬ「遺体」
https://news.yahoo.co.jp/articles/95b45d95a448f7032f7b38e351f0c03e95139197?page=2
3/14(日) 11:19配信 Japan In-depth
安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)
宮城県亘理郡山元町で、亡くなられた方に花を捧げる町長(2011年4月8日) 出典:Athit Perawongmetha/Getty Images
◆震災10年 放送されぬ「遺体」
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3/14(日) 11:19配信 Japan In-depth
安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)
宮城県亘理郡山元町で、亡くなられた方に花を捧げる町長(2011年4月8日) 出典:Athit Perawongmetha/Getty Images
【まとめ】
・亡くなった人の映像はテレビでは放送されない。
・テレビ報道は過度に自粛しているのではないかとの議論あり。
・事件、事故、大災害を風化させないためにどうすべきか考えるべき。
・テレビ報道は過度に自粛しているのではないかとの議論あり。
・事件、事故、大災害を風化させないためにどうすべきか考えるべき。
宮城県気仙沼で遺体を運ぶ救助隊員(2011年3月16日)
出典:Paula Bronstein/Getty Images
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東日本大震災から10年、テレビや新聞では連日特集が組まれている。テレビでは、津波のシーンが流れる前に必ず「この後、津波の映像が流れます」というテロップが出る。
出典:Paula Bronstein/Getty Images
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東日本大震災から10年、テレビや新聞では連日特集が組まれている。テレビでは、津波のシーンが流れる前に必ず「この後、津波の映像が流れます」というテロップが出る。
被災者の方々のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)に配慮したものだとおもう。
そして気づいている人も多いだろうが、亡くなった人の映像は決してテレビでは放送されない。
震災直後、この問題はテレビ業界でも議論になった。災害の悲惨さを伝えるために、テレビ報道は過度に自粛しているのではないか?それはジャーナリズムにのっとって熟考した上でのことなのか?
そんな問題意識がどこからともなく沸き起こってきたのだ。なぜかというと、海外のメディアが被災地を取材したとき、彼らは日本のメディアのような判断をせず、遺体の写真を報道していたからだ。
実際、殺人現場などを取材したとき、血痕が現場にのこっていることはままある。それを撮りはしても、では実際報道するかというと、編集段階でカットするか、ぼかしを入れるか、してしまっていた。
誰に何かを言われたわけではないが、暗黙の了解でそうしていたのだ。
ニューヨーク特派員として駐在していたとき、南米で日本人の若者が強盗に遭遇し、殺害された事件があった。12月のことだったが、南半球は夏、地面に埋められた死体は腐敗し、発見されたときは骨だけになっていた。現地警察署に安置されていたそのお骨を現地カメラマンが撮影したが、もちろんその映像は放送されなかった。遺族感情に配慮したからだ。南米のテレビ局だったら、おそらくそのまま映像を流すだろう。
話を自然災害に戻す。災害は殺人事件とは違う。悲惨な自然災害の記憶を後世に残すために、我々は過度な放送自粛をすべきではなかったのではないか。そんんな反省を口にする人は震災直後、少なくなかった。
こうした問題意識から、とある東北のローカル局が津波発生時の映像を見せてくれた。大津波にのまれ濁流の中、人がもがきながら流されていく映像が淡々と流れた。それはまるでマネキンのように浮かんだり沈んだりして画面の右から左に流れ、やがて見えなくなった。それはフィクションでも何でも無い。まごうことなき津波の真実である。その映像は決して流れることはなかった。私を含め複数の人間がその映像を見たが、放送すべきだったか、すべきでなかったか。結局、その場で結論は出なかった。
一体、いつからテレビは遺体を放送しなくなったのか?明確にいつから、というのは分からないが、「NHK放送ガイドライン2020」には以下の記述がある。
11 事件・事故 6映像の6項目
「事件や事故、災害などでは死者の尊厳や遺族の心情を傷つける遺体の映像は、原則として使用しない」
15 国際・海外取材 2戦争・テロ報道」の5項目
「戦場やテロ現場の映像については、慎重に判断して扱いを決める。遺体の映像は、人間の尊厳や遺族などの感情も尊重し極めて慎重に扱う。捕虜の映像は、人権に十分配慮し必要最小限にとどめる」
また、BPO(放送倫理・番組向上機構)中国・四国地区各局との意見交換会(2011年10月)で、震災報道について議論があった。
「東日本大震災報道」についての「日本のテレビでは遺体映像は出ていないが外国のメディアでは海に浮かぶ遺体の映像が流れたと聞く。どう考えるか」という質問に対し、以下のような意見が出された。
・牛や豚が死んでいる映像だけでは真実は伝わらない。次世代にまで伝えるという点では、迫真のある映像を残すことをベースに且つ人間の尊厳を守っていくという観点からまず撮影し、そのうえでボカシを入れるかどうかを議論し、出すべきものは出すという方向性で行かないとメディアとしての意義はない。
・欧米のメディアでは遺体を含むはるかに凄惨な画像が通常放送されている。それと日本での扱いとの間にあまりの段差がある。(中略)名前が特定できるとか親族には分ってしまう等の場合は別として、遺体であるから放送しないという一般的な原則が果たして有効かどうか、いま少し議論する必要があると考える。
・広島の原爆の時も遺体写真がほとんどなかった。(中略)やはり撮らなければいけない、記録しなければいけない。それを記憶させていかなければいけないというのが私たちの仕事の宿命というか使命だ。
こうした意見は放送業界の中に確かにあった。しかし、自粛は続いている。報道に携わるものとして、この問題は、絶えず自問自答していかねばならないものだろう。
事件、事故、そして大災害を風化させないために。
◆
bgc***** | 5時間前
◆
bgc***** | 5時間前
10年前の震災の時にサンドウィッチマンが津波の映像を流すのではなく、探し人、誰々は〇〇体育館にいますなど今必要な情報を流してくれって懇願したと言う話を聞いたことがあります。私も被災しテレビは数日後に見る事ができました。
遺体を映す映さない、、、きっと興味本位なのか。。被災した私からするともっと放送すべき事はあると思う。
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犬神 佐清 | 5時間前
小学校の時間割に
英語の時間よりも防災の時間が必要じゃないのか?
生き残るための授業の方が英語より大事だと思う
英語の時間よりも防災の時間が必要じゃないのか?
生き残るための授業の方が英語より大事だと思う
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tep***** | 5時間前
Youtubeでは遺体を映した映像はありましたよ。自分は観ましたが、あの映像を誰が観ているか分からないTVで映す必要があるとは思いません。大人の想像力があれば十分悲惨さは伝わります。それを公共の電波で流す必要はありません。
ただ観る事が真実だと言うならばそれを観たいと考える人が選択して観られる様に震災記録館などで選択的に観られる様にしておけば良い。なんでもかんでもこれが真実だからと押しつければ良いというモノでは無いでしょう。そういう場面を直接見せなくても感じ取る日本人の感性は尊重されて良い。報道だからと言ってなんでもかんでも映し出すのは一種の暴力にすらなり得る事を肝に銘じなければならない。
ただ観る事が真実だと言うならばそれを観たいと考える人が選択して観られる様に震災記録館などで選択的に観られる様にしておけば良い。なんでもかんでもこれが真実だからと押しつければ良いというモノでは無いでしょう。そういう場面を直接見せなくても感じ取る日本人の感性は尊重されて良い。報道だからと言ってなんでもかんでも映し出すのは一種の暴力にすらなり得る事を肝に銘じなければならない。
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byw***** | 4時間前
私はそういう映像を興味本位で検索し、意識しなかったが娯楽目的で見た。
ショックだった。文字や音声で伝えられた事は本当だった。鳥肌が立ち、涙が出た。
本当だと思っていたが、本当に本当だった。娯楽の気持ちは完全に消えた。
私には事実がきちんと伝わった。娯楽目的で見ようとなんて思ったのは、これまで見たことが無かったからだ。
ショックだった。文字や音声で伝えられた事は本当だった。鳥肌が立ち、涙が出た。
本当だと思っていたが、本当に本当だった。娯楽の気持ちは完全に消えた。
私には事実がきちんと伝わった。娯楽目的で見ようとなんて思ったのは、これまで見たことが無かったからだ。
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dwz***** | 5時間前
実写も写真もどちらにしても撮る側に強靭な精神力が必要なことは理解して欲しい。
ただシャッターを押したり、ピントを合わせてるだけと批判される方も多いが、残さなくてはいけない状況を残すというのは撮る側も相当厳しい局面なのです。
撮れる人はそんなに多くはない。
みんながこぞってスマホで撮影できる時代になったけど、それでも撮ることは撮った後の精神のバランスを考えると少なくても素人にはやめておいた方がいいだろうなとは思う。
真実を撮るのはどう伝えるかということとの戦いでもあるが、綺麗事だけを残して悲惨さを忘れさせた結果が大災害の人的被害だとしたらやはり考え直す必要はあると考えたりもする。
戦場の死体の山積みを目にしたことがないから、簡単に戦争をしたいと思う輩がいるのと同じ状況だと昨今思う。
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ifo***** | 5時間前
確かテレビ局の放送前に映像を編集や確認する部署の社員が、毎日遺体や生きたまま人が流される映像を見ていてPTSDになったと聞いたことがある。ユーチューブも津波が押し寄せる映像は山ほどあるが、引いていく映像はひとも無かった。きっと公開できない場面ばかりだったのだろうな。
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大豪院ジャッキーちゃん | 3時間前
私はやはり道義的に考えて、ご遺体の撮影はすべきではないと思います。変わり果てた惨たらしい姿を晒されたら、ご遺族はどう思うか?悲惨さを伝えたところで、自然災害をはじめとして、人が犠牲になってしまう事故事件はゼロには出来ない。また、世の中にはキテレツなマインドの人がいて、惨たらしい映像を好む人間もごく少数いてるのも事実。奇異の目で観られてしまうのも、亡くなったご本人やご家族も気の毒です。撮影及び報道すべきなんていうのは、拝金主義に走るマスメディアのエゴでしかないと思う。
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kom***** | 4時間前
私は東日本大震災のあの日、子供を保育園に迎えに行く車の中で被災地を上空からリアルタイムで映しているニュースを見た。ちょうど海岸を映した映像。海には多数の遺体が浮かんでいる映像で、ヘリからリポートしていた方は「この海に浮かんでいる物はあれですよね」と実況していた。この映像はそれ以来テレビで放映されていないと思う。海岸を映した時間は数秒だったと思うけど、私は一生忘れられない。
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あなたのコメント | 3時間前
平穏に視聴できる側だけの議論のような気がする。
被害に遭われた方の尊厳はどうなるのかな。
自身が生死の境をさまよった場面を、有象無象の第三者に晒されたいかな。
その方がの家族や遺族の意向はどうなるんだろう。
自身が生死の境をさまよった場面を、有象無象の第三者に晒されたいかな。
その方がの家族や遺族の意向はどうなるんだろう。
ジャーナリズムの観点から意義を謳うのもわかるけど、
そこに人の命があることを忘れないでほしい。
そこに人の命があることを忘れないでほしい。
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yos***** | 5時間前
ずいぶん前だけど、海外滞在中にイラク戦争の兵士の遺体を映像で見た。
どちらがわの兵士かはわからないけど、口を開けて目を見開いていた。
どちらがわの兵士かはわからないけど、口を開けて目を見開いていた。
これが現実なんだと、素直に思った。
直視できるかは個人差があると思う。だけど過剰な配慮で
刺激の強いものを隠す風潮はどうなんだろう。
現実を知る強さがこの国には必要なのではないだろうか。
直視できるかは個人差があると思う。だけど過剰な配慮で
刺激の強いものを隠す風潮はどうなんだろう。
現実を知る強さがこの国には必要なのではないだろうか。
正論が取りざたされる昨今だけど、現実は複雑で
きれいごとばかりではない。
現実に対する免疫も必要だと思う。
◆津波にのまれた親子、傷のない赤ちゃん 検視官は涙した
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4a64c43e6c55210ebb709883ae5d999d6b4737f
2021/3/12(金) 13:02配信 朝日新聞デジタル
2011年の手帳を見返し、被災地に派遣された日々に思いをはせる山下統括検視官=2021年3月2日、県警本部、植松敬撮影
きれいごとばかりではない。
現実に対する免疫も必要だと思う。
◆津波にのまれた親子、傷のない赤ちゃん 検視官は涙した
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4a64c43e6c55210ebb709883ae5d999d6b4737f
2021/3/12(金) 13:02配信 朝日新聞デジタル
2011年の手帳を見返し、被災地に派遣された日々に思いをはせる山下統括検視官=2021年3月2日、県警本部、植松敬撮影
東日本大震災で1万5千人を超える死者の死因や身元を調べ、遺族に引き渡す役割を担ったのが、全国から派遣された警察官たちだった。静岡県警捜査1課の山下安則・統括検視官(57)もその一人。2011年の3月に福島県相馬市、同年5月に南相馬市へ約1週間ずつ派遣され、津波にのまれた遺体に向き合った。
3月の派遣では遺体安置所となった工場で検視にあたった。遺体の写真を撮り、津波で泥まみれになった体を洗い流す。全身の傷を細かく確認し、持ち物や体の特徴、指紋やDNA型、歯形なども記録。医師から災害死と確認してもらい、遺体を棺に納めた。
3月の派遣では遺体安置所となった工場で検視にあたった。遺体の写真を撮り、津波で泥まみれになった体を洗い流す。全身の傷を細かく確認し、持ち物や体の特徴、指紋やDNA型、歯形なども記録。医師から災害死と確認してもらい、遺体を棺に納めた。
工場内には遺体と対面した遺族が号泣する声が響きわたる。その中で黙々と作業を続けた。少しの無駄話も、笑顔を見せることも許されない。緊張が続いた。担当する遺体の前では必ず手を合わせ、黙禱(もくとう)をささげた。
ある日、生後数カ月の赤ちゃんの遺体が運ばれてきた。遺体にはほとんど傷がなかった。「皮膚が弱い赤ちゃんがなぜ……」。不思議に思った。数時間後に運ばれてきた若い女性は、赤ちゃんを抱きかかえる姿勢で硬直していた。2人は親子だった。「津波にのまれても最後の最後まで子どもを守ろうとしたのか」。母親の気持ちを思うと涙が止まらなかった。
派遣期間中、南相馬市で津波被害に遭った海岸部にも足を運んだ。平地にぽつん、ぽつんと柱だけが立っていた。「元の姿が想像できなかった」。被災前の様子を航空写真で見てあぜんとした。一帯の建物がまるごと消えていた。「これがこれから静岡でも起きることなのか」
被災地で抱いた危機感は今も残る。警察官や自治体職員、医療関係者の前で講演する機会が多く、南海トラフ地震に備え、事前準備の重要性を訴えてきた。検視に必要な資機材の準備や遺体安置所の確保、人員確保は欠かせない。「災害には想定外がつきまとう。関係機関、県民も一丸になって立ち向かわなければならない」と話す。
これまでの経験から、被災地では遺体の取り扱いや治安確保など警察の役割の重要さも実感してきた。その上で、若い警察官にはこう伝える。「警察が本当に必要とされる場面で自分の命がなければ何もできない。だからこそ、いざというときに逃げる勇気を持ってほしい」(植松敬)
◇
阪神淡路大震災や東日本大震災では、検視に必要なビニールシートや消毒液といった資機材の不足、想定していた遺体安置所の被災による別の施設の確保など、遺体を扱う上での課題が浮き彫りになった。過去の教訓から全国的に防災計画の見直しが進み、静岡県は2016年4月に「遺体措置計画策定の手引」を改訂した。
手引では、県内の市町に対し、遺体搬送や検視に必要な資機材の調達と保管を求め、事前に地元警察署と協議して遺体安置所となる施設を選ぶことを要望。耐震性があり、想定浸水域外に位置する施設を選ぶことや、万が一被災した場合の代替施設の選定も必要としている。
ただ、遺体安置所の選定は市町によって進み具合が異なる。県危機政策課のまとめ(昨年4月1日時点)によると、県内では3市町で遺体安置所が決まっていない。大規模施設は避難所との重複を避ける必要があり、想定していた施設の耐震性が不十分というケースがあるなど、今後の課題になっている。
一方、県の手引きには警察や医師、消防や葬祭業者と連携した防災訓練の実施についての記載もある。県が毎年実施する総合防災訓練では、遺体の検視や身元の特定、遺族への引きわたしを想定した訓練を行い、最悪の事態に備えた準備を進めている。
◆
ren | 2日前
◆
ren | 2日前
津波が引くときの水勢は、ものすごいものだと聞いた。
それでもママは、赤ちゃんを絶対に離さなかったのですね。
最後まで、お母さんの役目を果たした、立派なママです。
それでもママは、赤ちゃんを絶対に離さなかったのですね。
最後まで、お母さんの役目を果たした、立派なママです。
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***** | 2日前
輪廻転生があるのかわからないけど、もしあるなら、今頃2人とも生まれ変わっているのかな。
縁のある人っていうのは、来世でまた出会うと聞いたことがある。
そうならば、幸せであってほしい。
縁のある人っていうのは、来世でまた出会うと聞いたことがある。
そうならば、幸せであってほしい。
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enc***** | 2日前
ここ数日、東日本大震災の犠牲になった方達のストーリーを沢山読んだ。
涙なくしては読めないものばかり。
今回のこの悲し過ぎる親子のお話しも、あぁ、辛すぎる…
涙なくしては読めないものばかり。
今回のこの悲し過ぎる親子のお話しも、あぁ、辛すぎる…
こんなにも多くの悲しみの涙が、もう2度と流れないように、災害対策を個人レベルから徹底していきたい。
そして、犠牲者の方達が天国で安らかな気持ちでいることを願ってやみません。
そして、犠牲者の方達が天国で安らかな気持ちでいることを願ってやみません。
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iox | 2日前
最後の最後まで赤ちゃんを守ろうとした、涙が止まりません、お母様とこの赤ちゃんが天国で一緒に暮らしています様に。
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poc***** | 2日前
濁流の中で、もがいて争う事より
赤ちゃんを離さない事を選んだお母さんに
涙が出ました…尊いです。
赤ちゃんを離さない事を選んだお母さんに
涙が出ました…尊いです。
返信15
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toy***** | 2日前
知り合いの医師でさえ災害の検視から帰った後ポツリと「二度と行きたくない」と言っていた。
プロでもこうなんだから、一般人は•••
プロでもこうなんだから、一般人は•••
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rryr23))(!mytd | 2日前
想像しただけですごく悲しくなります。
子供は必死で子供を守ろうとした母親の姿をしっかり見ていたと思います。
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t2c | 2日前
コメント欄は無いのですが、アクセスが上位の
「ひどいことを…」あの日に戻りたい 亡き妻と娘へ、10年間消えぬ後悔」という消防士さんの記事は、昼休みに読んでいたら、涙が止まらなくなりました・・・
今年は、色々な記事を読みましたが、子供が亡くなるという悲劇はとにかく辛い。
いずれは「首都圏」「南海」と言われております。
いつ発生するのかわからない災害ですが、毎日を大切に、家族を大切に、なるべく悔いの残らないように生活したいと、改めて実感します。
いつ発生するのかわからない災害ですが、毎日を大切に、家族を大切に、なるべく悔いの残らないように生活したいと、改めて実感します。
返信49
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kw1***** | 2日前
検視…
あまり表に出てこない役割で、とても辛い役割である事を認識しました。
10年経ちましたが、この一連の事を風化させないように、また今後に活かすようにしなければ
あまり表に出てこない役割で、とても辛い役割である事を認識しました。
10年経ちましたが、この一連の事を風化させないように、また今後に活かすようにしなければ
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sa | 2日前
「いざというときに逃げる勇気」
これは本当に重い言葉ですね。
特に責任感の強い人ほどぎりぎりまで頑張ろうとするけど
この言葉をかみしめてほしい。
◆遺体が一人また一人 被災地で消防隊員が見た想像を絶する惨状
https://news.yahoo.co.jp/articles/3266bc1e4d7d7b5be92fd910905a6697ac05bada
2021/3/11(木) 12:15配信 毎日新聞
東日本大震災の発生後、被災地で救助者の捜索にあたった篠原浩典さん(右)と松橋慶武さん=群馬県高崎市八千代町で2021年3月4日、鈴木敦子撮影
これは本当に重い言葉ですね。
特に責任感の強い人ほどぎりぎりまで頑張ろうとするけど
この言葉をかみしめてほしい。
◆遺体が一人また一人 被災地で消防隊員が見た想像を絶する惨状
https://news.yahoo.co.jp/articles/3266bc1e4d7d7b5be92fd910905a6697ac05bada
2021/3/11(木) 12:15配信 毎日新聞
東日本大震災の発生後、被災地で救助者の捜索にあたった篠原浩典さん(右)と松橋慶武さん=群馬県高崎市八千代町で2021年3月4日、鈴木敦子撮影
未曽有の大災害に見舞われた被災地で人々の救助にあたったのは、全国から駆けつけた「緊急消防援助隊」だった。群馬県内の消防隊員も震災当日の3月11日から続々と出動した。現地では度重なる余震や大津波警報、福島第1原発事故などに直面し、危険と隣り合わせの任務となった。
【海岸に手を合わせる家族連れ 10年を迎えた被災地】
「一人でも多くの生存者を見つけ出したい。その一心で向かいました」。高崎市等広域消防局の消防司令補、松橋慶武さん(42)は3月11日深夜、「高崎1次隊」メンバーとして21人で東北に向かった。県外の大規模災害の応援は初めてで、使命感に燃えていた。
だが、派遣先の福島県相馬市で想像をはるかに超える惨状と向き合うことになる。街は津波で押しつぶされて見る影もない。高齢の住民が消防隊の車に向かって手を合わせて拝む様子から、経験のない修羅場に身を置いていることを実感した。
「誰かいますか?」。懸命に声を上げたが反応はなく、ただ静寂が広がっていた。倒れた家屋の下や側溝などをのぞき込むと、遺体が一人、また一人と見つかった。柱にしがみついたまま息絶えた人もいた。津波から逃れ、必死で生き延びようとしたのだろう。「もう津波は引きました。手を離して大丈夫ですよ」。心の中で念じながら、そっと遺体を引き上げた。
3月11日は、管内の高崎市で地震による火災が2件、安中市でエレベーター内の閉じ込めが1件発生した。同消防局では地元での活動と並行して被災地への派遣準備が慌ただしく進められた。
同消防局の消防司令長、篠原浩典さん(53)は14日に出発。福島市の東北自動車道・吾妻パーキングエリアで停止中、「原発がはねた」との一報が入り、ひとまず屋内待機命令を受けた。4時間の足止めの後、相馬市に入ったが、当時は情報が交錯して現地の放射線量などの詳細は全く分からなかった。それでも篠原さんは、被ばくへの恐怖を振り払い、「腹をくくった」。
現地に到着すると、生存者はやはりいなかった。遺体の多くは既に収容されていたが、がれきの中を再度確認すると、まだ見つかることがあった。「もう見つからないでくれ。そんな気持ちでした。もちろん通常の災害現場では懸命に救助者を探し出すし、あの時だって同じでした。でも、あまりにも規模が大きくて『これ以上は……』と祈るような感覚がありました」
アルバムや写真、名前のついている物などは、箱に入れてその場に置いておいた。後日、親族とみられる人が必死で箱の中身を見る姿を見て、どこかホッとしたという。
県内から被災地に派遣された消防隊員は3月11日から5月29日までに延べ3140人に上った。同消防局では震災以来、ほぼ毎年3月11日に訓練を行っている。隊員たちの士気を高め、技術や意識を継承するためだ。
一方、県民に対して松橋さんは「自分の身は自分で守るという意識を持ってもらいたい」と語り、篠原さんは「地域の自主防災訓練や、いざという時の対応をイメージしておくこと、家族での話し合いなど、日ごろからできる準備をしておいてほしい」と訴える。
「自助・共助」の精神は、救助する側が住民を突き放すことを意味しない。助けられなかった多くの命に接し、「我々が到着するまで、なんとか命をつなぎ留めてほしい。そうすれば、必ず助けるから」との思いがある。
◇ ◇
東日本大震災は11日、発生から10年を迎える。山本一太知事は10日の記者会見で、「犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災された方にお見舞い申し上げる。県内でも600人を超える避難者の方が生活している。震災の記憶を風化させないよう今後の復興を見守り、県としてできる限りの応援を続けていく」と話した。【鈴木敦子】
◆
his***** | 3日前
◆
his***** | 3日前
消防・警察の皆さんは大変だったと思いますよ。ニュースにはなってませんが心を病んだ方が複数いたとしてもおかしくはありません。ご苦労様でした。
返信25
4824
261
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san***** | 3日前
ニュースで言ってました。夜が明けたら海岸に200,いや300人の遺体が累々と並んでる。と、主治医が現地で遺体確認作業に携わったが、小さな子供さんは辛くてたまらないと。
心を病んでお休みしてました。
東京直下型地震も30年以内と言われて、そろそろかと思いますが、
何をすべきか分からないです。
心を病んでお休みしてました。
東京直下型地震も30年以内と言われて、そろそろかと思いますが、
何をすべきか分からないです。
返信36
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vaf***** | 3日前
主人は葬儀屋として東北に行き、ご遺体とご遺族と向き合いました。現場は本当に二度と見たくない光景だったそうです。ただただ、助ける訳でもなく理不尽な死に寄り添える訳でもなく無力さを感じていたと言っていました。
10年間で私は学校を卒業し、結婚し、母になりました。それだけ10年という月日は大切な月日です。
この教訓を生かし、もしかしたらと大袈裟でも行動して命を守る行為がとても大切だと思いますしそれが唯一できることなのかなとも思います。日本に住んでる以上いつかは大地震が来ると思っています。その日に大切な人の命を守るために一つでもできる事をしたいと思います。
この教訓を生かし、もしかしたらと大袈裟でも行動して命を守る行為がとても大切だと思いますしそれが唯一できることなのかなとも思います。日本に住んでる以上いつかは大地震が来ると思っています。その日に大切な人の命を守るために一つでもできる事をしたいと思います。
返信5
2568
329
329
tho***** | 3日前
親しい友人が自衛隊員で、救助に行っていました。
子供の頃から弱音を吐かず、入隊してからはめったに連絡もなかったのに、震災の一週間後くらいにぽつりと沈んだ声で電話がありました。
記事の方と同じように、一人でも多く助けよう、という気持ちで行ったけど、時間が経つにつれてご遺体が多くなってつらいと。
私は東京で仕事をしていましたが、日常を続けていることに罪悪感を感じて、うまく話を聞けませんでした。
でも「日常を続けて経済を回してもらわないと、もっと大変な人が増えてしまう。ちゃんと毎日を大事に暮らして。できるなら募金をして」と言われました。
逆に励まされてしまって情けなかった。
彼は今も自衛隊で頑張っています。
子供の頃から弱音を吐かず、入隊してからはめったに連絡もなかったのに、震災の一週間後くらいにぽつりと沈んだ声で電話がありました。
記事の方と同じように、一人でも多く助けよう、という気持ちで行ったけど、時間が経つにつれてご遺体が多くなってつらいと。
私は東京で仕事をしていましたが、日常を続けていることに罪悪感を感じて、うまく話を聞けませんでした。
でも「日常を続けて経済を回してもらわないと、もっと大変な人が増えてしまう。ちゃんと毎日を大事に暮らして。できるなら募金をして」と言われました。
逆に励まされてしまって情けなかった。
彼は今も自衛隊で頑張っています。
返信7
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makima | 3日前
10年前の今日、何をしていたか?は日本人みなが忘れない1日だと思う。
私は四国の宝くじ売り場の中で宝くじを販売していました。
帰宅後TVつけたときの衝撃はものすごかった。
被災していなくても、思い出すと身の引き締まる日。
私は四国の宝くじ売り場の中で宝くじを販売していました。
帰宅後TVつけたときの衝撃はものすごかった。
被災していなくても、思い出すと身の引き締まる日。
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hak***** | 3日前
あの日から数ヶ月間、ほぼ休むことなく災害支援活動を行っておりました。
東北道にて北上する時、救急車の隊列が複数、北上してるのを目撃しました。
車の横に記載されている所属地も、地域を越えた車列で尋常じゃない危機感を感じたものです。
当時、高速道路を走行していたのは、救急車の隊列、そして自衛隊の夥しい数の車両。
そして私たちと同じ、災害支援の車両がほとんどだったと記憶してます。
あの感じた、救急車と自衛隊の車両の頼もしさ、そして有り難さは一生、忘れることはないでしょう。
東北道にて北上する時、救急車の隊列が複数、北上してるのを目撃しました。
車の横に記載されている所属地も、地域を越えた車列で尋常じゃない危機感を感じたものです。
当時、高速道路を走行していたのは、救急車の隊列、そして自衛隊の夥しい数の車両。
そして私たちと同じ、災害支援の車両がほとんどだったと記憶してます。
あの感じた、救急車と自衛隊の車両の頼もしさ、そして有り難さは一生、忘れることはないでしょう。
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無識者 | 3日前
10年前の3月9日に原町市の工場に機械を搬入して、帰り道にジャスコに立ち寄り、仙台銘菓の三全があったので、人気の萩の月を友人達に贈る為に若い店員さんと発送のやり取りをして居ると花粉症で困って居ると。茨城県の水戸の近くで機械の積み込みの最中に凄い揺れが襲って来て、回りの建物が大きく揺れて今にも倒壊しそうな状態で、揺れはしばらく続きました。後で、3月9日に注文したので、気になって発送の確認をしたところ、あの三全の店員さんが亡くなられた事を告げられました。その日は休みで移動中に津波の犠牲になったとの事でした。あんな若い女性があっと言う間に亡くなってしまう現実を恐ろしく思いました。災害は個人の意思に関係無く未来も命も奪います。日常での生活が一変します。毎年この日が来ると原町市のジャスコの三全の高木さんを思い出します。未来を命を奪われて本当に可哀想です。高木さんのご冥福を祈ります。
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霞を食べて生きております。 | 3日前
震災後に南三陸町にボランティアに行きました。
仕事内容としては、体育館での荷物の仕分けや遺留品の手入れなどばかりで、被災地域には近づかないように言われました。
力仕事をやるつもりで準備してましたが、被災地域ではいつ仏さんが出てくるかわからないための処置だと聞いて納得しました。
救助や捜索にあたられた方は本当に凄惨な現場で大変だったろうと思います。
仕事内容としては、体育館での荷物の仕分けや遺留品の手入れなどばかりで、被災地域には近づかないように言われました。
力仕事をやるつもりで準備してましたが、被災地域ではいつ仏さんが出てくるかわからないための処置だと聞いて納得しました。
救助や捜索にあたられた方は本当に凄惨な現場で大変だったろうと思います。
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ybm***** | 3日前
つい最近見つかった人は意外と近くにいた。
まだ津波の土砂に埋もれているのかもしれない
泥のかき出しのボランティアに行ったが、普通の庭の土なのか、津波の土砂なのか見わけがつかなかった
まだ津波の土砂に埋もれているのかもしれない
泥のかき出しのボランティアに行ったが、普通の庭の土なのか、津波の土砂なのか見わけがつかなかった
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★★☆★★★ | 3日前
当時行方不明の捜索をされていた、元自衛隊の方のお話をする機会があったのですが、今でも鮮明に思い出すほど忘れられない光景だったそうです。
悲惨なんて言葉じゃ片付かないくらい、酷い光景だったと…
そんな中捜索に当てられた、自衛隊、警察官、消防士の方々には頭が本当に下がります。
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