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天涯孤独男のつぶやき!

もうこの歳になると怖いモノはない。何でも好き勝手書かせてもらいます。多少辛口になります。ジャンルは世の中のことすべて。

1995.1.17阪神大震災の思い出。

2024-01-06 18:09:07 | 日記
昨晩、塚口会の幹事AからLINEで「突然の話で恐縮やけど、明日5時から新年会をやるから来ませんか」の誘いが来た。
僕は躊躇した。
能登があんなことになってるのに、騒ぐなんてできないな、の心境だ。
だけど若い頃みたいな正論男でもない。
暫く返事を保留してたらAから電話があった。
「ちょっと今回は体調不良でパスするわ」とやんわり断った。
そんで暇になったので、ウォーキングしながら、阪神大震災の頃の事とか思い出している。

(阪神大震災)

あの時は突然でホンマにビックリした。
当時、何か知らないが、関西では地震は起きないみたいな神話?があった。
東京に出張した時など、東京はよく揺れるなと思ったもんだ。
僕は阪神大震災の時、岡山に「美女紀行」という企画で車で出張していた。
取材を終え、翌日が休みだったので、岡山の温泉旅館で作家気取りで、6本の原稿を書き上げようと泊まった。
同行したカメラマンはすぐに帰ったが。
翌日の明け方、地震で目が覚めた。
テレビを点けると、僕の住む阪神地区で大きな地震があったと言っている。
「へえ神戸で地震か~」くらいに見ていたら、いきなり阪神高速道路が倒壊しているシーンが映された。
僕は仰天し、すぐ帰らねばと愛車に飛び乗った。
しかし、道路はどこも不通になっており、国道2号線だけが辛うじて走れるということだった…。
それから僕の悪戦苦闘が始まる。
それは、もう書きたくないな。
思い出したくもない。
兎に角、普段なら3時間で帰れるところが、2車中泊の3日掛かった。
会社では僕は「行方不明」になってたそうだ。
死ぬ思いで、やっと尼崎の家に帰り着いたら、僕の部屋はグチャグチャになっていた。
スチール製の天井まであった本棚が2つとも倒れていた。
そこで寝てたら、死んでたかも、と思う。
その意味では不幸中の幸いやったかな。
武庫川を挟んで西宮まで酷い被害が出たが、尼崎はそれほどでもなかった。
暫く断水はしたが。
わざわざ大阪のサウナまで風呂に入りに行った。
あれ以来、日本列島は大地震期に入ったようだ。






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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
wadaさま (yottin)
2024-01-06 22:05:30
今度の地震はマグニチュードが神戸地震と同レベルだったらしいですね
人口が少ない代わりに、孤立集落が多くて救助困難になっているようです。

私も3日に10数名の飲み会に誘われましたがやんわり断りました。
2日までぐったりして、そんな気分ではなかったですから、二次会の誘いまで来たから、彼らはどれだけ図太い神経なのか?
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Unknown (wada67miho)
2024-01-06 22:48:29
yottinさま

あれから29年経ちましたが、思い出しました。家が潰れての圧死者と火事の死者が多かったですね。
それ以後、都市部では耐震住宅になりましたが、能登では古いままの家だったみたいですね。
そうですね。不謹慎という言葉が浮かびました。
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wada67miho様へ (こちウワ男)
2024-01-07 11:17:46
ホンマ、美女(紀行)が助けてくれたようですね。自宅にいると圧死間違いなかったかも。きっと長生き間違いなしです。阪神大震災は生まれて初めて、地震の恐怖を味わいました。これだけの大地震。もう、100年は来ない。違う意味で乗り越えたか、と思ったのは浅はかでした。
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Unknown (wada67miho)
2024-01-07 17:02:18
こちウワさま

僕は3.11東日本大震災の時、今は亡き大森映画監督のとこへ取材に行ったんです。彼は同い年で「死ぬまでに2度も大震災に遭遇するとは思わなかった」と意気投合したのですが、もう2度どころじゃないですね。南海大地震の覚悟をしとかな、ですね。
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