
昨日、西宮ガーデンズに行き、8000歩散歩をし、フードホールで元祖オムライス屋「北極星」のオムライスと生ビールで晩飯とした。
僕はいまだにオムライスが大好きだ。お子ちゃまのままだ。
ついでに、TOHOシネマズで「阪神タイガース・ザ・ムービー」を観ることにした。
新型コロナウイルスが気になったが、酔いもあり、「まあええか」とあいなった。
掛布がダミ声でナビゲーターを務めていた。
85周年を迎えた阪神のドキュメンタリーかと思っていたら、現役選手のインタビューもふんだんにある選手列伝でみたいな映画だった。
1985年のあの3番バース、4番掛布、5番岡田のバックスクリーン3連発。
江夏のノーヒットノーラン&延長11回サヨナラホームランなど見所満載。
懐かしかったのが初代ミスタータイガースの故藤村富美男。
僕が若い頃、大スポの編集局におはぎを沢山持ってきてくれるオジイさんがいた。
当時は日本シリーズは昼間にやっていた。
「あのジイさん誰や?」と若い連中が囁いていたら、幹部たちはかしこまって挨拶している。
日本シリーズの速報版を出すので、テレビを見ながら、記者に解説し原稿を書かせる本紙専属評論家・藤村富美男だったのだ。
「お前ら藤村さんを知らんのか?長嶋茂雄みたいな人やで」と野球部長があきれていた。
そんな凄い人とは知らず失礼しました。
毎日、おはぎを差し入れしてくれる好好爺だった。
確か間もなく亡くなられたと記憶している。
映画は最後に「六甲おろし」を座席で歌ってお開き。
スカッとして家路についた。
だが、私にも強烈で情けない思い出があります。町にバッティングセンターが乱立した頃。その老藤村に手ほどきを受けました。しかし、感動より「あのミスタータイガースが、こんなバッティングセンターで教える?」的なガッカリ感が大きかった。長嶋王が町のバッティングセンターで教えるなんて、ありえへん、とね。貢献者を大事にしない阪神球団を証明していました。