わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

祈るということ

2010-06-23 13:50:05 | 癒し
祈るということは

大いなる生命に

すべてをゆだねる

ということです

祈りに入ったとき

人は光明につつまれます

奥の奥のすきとおった本心の光と

天界の霊人

守護霊守護神とが

ともに

大愛の

まばゆい

円光から

光をながし

光を受け

それらが

交叉しつづけるのです

そのとき人は

何も

気付いてはいません

ただ祈りが深ければ

深いほど

その心は

波のようにしずかに

おだやかになり

おのずから

光明が

辺りを照らすのです

かがやいているとか

いないとか

そんなことは

一向かまわずに

ひたすら

世界平和の祈りのなかに入って

ゆきますと

ただもう

気持ちがよくなって

丁度日向ぼっこをしながら

いねむりをするように

スーっと気持ちがよくなります

眠りに入るとき

そして

寝入ったとき

人は

無防備です

何のおそれも

かなしみも

その上をおそいません

ゆだね切った姿が

そこにはあります

そのように

深い祈りは

何も思わず

何も考えず

母の胸に抱かれるように

ふんわりと気持ちのよい

ものなのです

電車のなかで

祈りながら眠ってしまう

というのはもっとも深い

統一のひとつでしょう

自分も人もなく

ただふんわりと任せている

そうすると

おのずから

光が放たれ

光が流れてきて

光につつまれた人を

みることになるのです

意識する

しないにかかわらず

人は

こういう存在です

本心の光を

明るく照らして

祈っている

それが人間なのです

人間の真実の

姿なのです

神 行

2010-06-23 01:50:50 | 癒し
(問) 昌美先生の今の御神行ですが、

その大変さは神様以外に判っている

人はいないと思いますが、お話して

いただけますか。


(答) 説明しろというんですか。

出来るところまでしましょう。

全部は言えませんがね。 

 結局何が今大変かと言えば、要するに

人間というものは皆枠をもって生きて

いる訳なんです。

 枠がいいとか悪いとかでなく、枠を

持たなければ生きられないんですね。

 例えば、自分の家庭というものは

大事だし、家庭をはみだしたくないし、

自分の職場というものは大事だし、

これをやっぱりはみ出したくないと

皆思って、それを大事にして生きて

いるんです。で、それがいつの間にか

枠になって、他の世界は知らないという

寂しさになって行く訳だけども。


 昌美が今やっている事というのは、

そういう小さな枠でもですけれど、

いわゆる地球人類が等しく持っている、

全部の色んな枠を取っ払ってね、そして

生命が朗らかになって自由自在身に

なった時には、本当に霊そのもの

人そのものになって、全く肉体の想いと

いうもの肉体そのものを越えて、色んな

世界に常に出入り出来るという、そこの

ところを今修行している訳なんですね。

 だから、あの人は今ほとんど食物を

食べてない筈なんですよ。

人間の食物はあまり入らない筈なんですよ。

必要最小限しか入らない筈なんですよね。

 それでもって六時間祈るというのは

何を祈るかというのは、もちろん

世界人類が平和でありますようにと

祈りますけれども。

 
 人間というのは空間的に言えば

三次元に生きている訳ですね。

 三次元と言えば何かというと、

やさしく言えば、この地球に人類が

住んでいるけれども、他の所には

こんな空間は全然無い、そんな世界は

無いという風に枠で囲ってしまって

いるのが三次元なんですよね。

 目に見えるもの触れるものね。

それだけが自分の世界だと思って

生きている。それが三次元なんですね。

 
 ところが、四次元も五次元も六次元も

十何次元もありましてね。

 空飛ぶ円盤なんていうのは、そういう

優れた宇宙人達の心の波で本当に

澄み極まった波で動いている。

 向こうの科学はそういう心の波で

作られる。そういうものなんです。

本当に純粋な純白なものなんですよ。



 で、そこまで我々が本当に平和に

生命を完うしてね、この地上の生命を

完うして、更に死ぬ事を恐れないで、

次の世界へ又自分の生命を続かせて

行こうと思えば、自分の中に澄み極まる

想いがあり、それが全部動かして行くんだ

というところまできちっと信じきって

いかないと、そういう風に降していかないと

平和にならないんですよね。

 それには自分が自由自在身になる事が

必要なんですけれども、じゃあ誰でもなれるか

といったら、今三次元の枠を全部踏み越えて

なろうといえば、もうこれは命がけなんですよ、

世界平和の祈りをもってしても

尚かつ命がけなんです。

 そこのところを神様の方で選んでね、

昌美が自由自在身になる為の命がけの役を

本当にやっている訳ですよね。

 ですから、瞬間瞬間これが臨終かしら

という想い、恐怖の想いもあるだろうし、

頑張りたい帰りたいという想いもある

だろうし、色々な想いがあると思いますよ。

 その人間の想いを全部味わって越えて、

そこから、宇宙に生きる人類の偉大な

心と身体というものを獲得していく

という所まで行って、それで帰って来るんですよ。


 それを今度はあの人が十字になって降される

ようになったら、白光の皆に降して、

白光の皆から又外の人達に降してという計算が

出来ていってる訳ですよね。まずお手本が

ないと出来ませんからね。

 だから、あの人の今の孤独とか痛みとか

苦しみとかいうものは大変なものでね。

 村田さんは、とに角素晴らしい素晴らしいと

言っているけれど、素晴らしいだけではなく、

本当に痛い苦しい辛い大変の連続だと

思いますね。

 あれは他の人がやったら死んじゃうって

いうものです。


       (昭和六十二年二月二十四日記)