人間にとって、また神を説く者にとって、
何が一番大事かと申しますと、それは
人を容れる心であります。
この世には、実にさまざまな人が生きて
おります。価値観も、人生に対するおもいも、
まるで自分とはちがった、正反対の人々が
いるものです。
そういう人々に出会った時、ただおどろき
つづけるばかりではなく、その人の心のなかに
入って、共鳴板を探してゆくこと。これが
大事なのであります。なぜなら、神様は、
本当に、ひとりひとりを愛し切って、我々の
いのちを、日々瞬々生かしめて下さっているから
なのであります。
世界平和の祈りは、あの人この人という小さな
いれものではなく、世界人類が平和でありますように
というウンと大きないれものなのであります。
この容れ物は、神様の私どもに対する愛に
他なりません。どうぞ力むことなく、ふんわりと、
世界平和の祈りのなかにとけ込まれて、ただ
世界人類が平和でありますようにと祈ってごらんなさい。
あの人を愛さなければ、何とかこの人をという
苦しい気持ちは、いつの間にか、守護霊守護神が
消して下さるでしょう。
そうしてさらに祈っていって下さると、
自分の心が、いつのまにかおおらかに人を容れる
心にかわっていることに、気付かれることだと
おもいます。
ともあれ、まず、御自分を、祈りのなかに
投げ込んで、毎日祈ってごらんなさい。
あとは神様がそなえて下さると信じることです。
合掌
昌久
何が一番大事かと申しますと、それは
人を容れる心であります。
この世には、実にさまざまな人が生きて
おります。価値観も、人生に対するおもいも、
まるで自分とはちがった、正反対の人々が
いるものです。
そういう人々に出会った時、ただおどろき
つづけるばかりではなく、その人の心のなかに
入って、共鳴板を探してゆくこと。これが
大事なのであります。なぜなら、神様は、
本当に、ひとりひとりを愛し切って、我々の
いのちを、日々瞬々生かしめて下さっているから
なのであります。
世界平和の祈りは、あの人この人という小さな
いれものではなく、世界人類が平和でありますように
というウンと大きないれものなのであります。
この容れ物は、神様の私どもに対する愛に
他なりません。どうぞ力むことなく、ふんわりと、
世界平和の祈りのなかにとけ込まれて、ただ
世界人類が平和でありますようにと祈ってごらんなさい。
あの人を愛さなければ、何とかこの人をという
苦しい気持ちは、いつの間にか、守護霊守護神が
消して下さるでしょう。
そうしてさらに祈っていって下さると、
自分の心が、いつのまにかおおらかに人を容れる
心にかわっていることに、気付かれることだと
おもいます。
ともあれ、まず、御自分を、祈りのなかに
投げ込んで、毎日祈ってごらんなさい。
あとは神様がそなえて下さると信じることです。
合掌
昌久