わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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神の愛念について(5)

2023-03-13 12:52:43 | 癒し
     (前日からの続き)
何度も言うけれども、やっぱり毎日の
こと、煩いとか何だとかやって過ごして
ゆくと、とてもそんなこと思えない
でしょ。
だから、その思えないなあ、とても
そうじゃあないなあというのを、
もう死ぬまでね、何百回何千回思ったって
構わない。
そうは思えない、そこまでは私はいかない、
そこまでは俺はそんなとてもじゃないけど、
五井先生が言うようなところまでいかない
と思って構わないから、とに角、祈りの
中へ入っちゃいなさいよ。
入っちゃったら後は、守護霊さん守護神
さんや私だとか皆で、洗ってきれいにして、
そうして、また明日やっていく力を
こっちから与えてあげるんだからね。
ただ、私がするんだと思えば苦しくって
しょうがないんです。
それはさせていただくということなんです。
そのさせていただくというのが皆間違うのはね、
いい事をさせていただくのならば、こりゃあ
皆気持ちいいですよ。
ところがね、この世の中人間関係です絶対にね。
そうしますと、こっちがいくら真心をこめて
誠実を尽くしてやっても、ある時とても辛い
ことがやってきたり、悪口雑言がきたりね。
あるいは、集会なんかなすってますと、
いろんな中傷が来たりね、つまんない我が出て
きますでしょ。

しかし、そういうことを勉強して、そうして、
荷を負わせていただいて、で、悪口を
言われると、やっぱりそれもありがとう
なんですよ。
それだって、私が受けさせていただきます
なんです。
だから、あの人はこんなこと言って、
こんな考え方をしてけしからんというのは、
やっぱり消えてゆく姿なんだね。
けしからんという想いは辛いけれども、
それで過去世のあなた方の何か業という
ものが一つずつ消えるんですよ。
だから、カッと腹が立った時に、あっと
思ってね、反省するだけじゃなくて、ああ
これで消えたんだなあ、ありがとう
ございますと思えたら、そこで光が
入るんですね。
そこで、たとえあなた方が思えなくても、
その時にさあっと守護霊さんや守護神さんや
私の方から光が行くんですよ。
そこを信じるということが任せるということ
なんです。
          (つづく)