(前日からの続き)
壇上からこうやって見てますとねえ、この
世の中のいろんな有様が分かる訳ですよ。
そして、あなた方の一人一人の気持ちの
動きも分かるわけ。
だから、一人一人の中へ本当は降りていって、
そうして、辛いね苦しいねと言ってあげたい
ですよね。
本当にそうだよね。
そうだけれども、そこにとどまっちゃあ、
肉体人間のこの限界のところだけに
終っちゃうんですね。
我々の生命というのは、何度も言うけれど、
本当は明るいもんだから、そこを見つめた
人間が言うんだから、これは間違いない
ですよ。
私が全部引き受けたんだから、私の方へ
いろんな煩いをみんな投げてくれれば
いいんです。
ただ焦ったら駄目なんだね。
私も本当に気短かで、悟る前も悟った後も
あんまりいい人間ではなかったけどさ、
やっぱり焦るんですよ。
でも、焦ったら本当に神様が光を出しにくく
なるんだよね。
そのことだけを覚えてね、そうして、
すいませんいろいろな想いが出ますけれども、
よろしくお願いしますという気持ちで統一を
して下さいな。
そうすると、こっちがあなた方のそういう
ものは全部分かっているから、悪いようには
しませんよ。
絶対に悪いようにはしませんから、そこの
ところを信じるということね、おもいでは
なくて、信仰というのはね、神様が絶対に
我々を悪いようにはしないんだ。
神様は絶対に私たちを愛して下さるんだ。
たとえ明日死んでも私たちは神様の器なんだ。
そのために私たちはここにいるんだ。
そういう自信をもって祈る。
祈って、動く。
それは言葉だけじゃないんです。
そういうふうに一旦思っちゃえば、あなた方の
体というのは、あなた方が自覚するしないに
関わらず、とに角、祈りで一杯になるんですよ。
世界平和の祈りで一杯になる。
あるいは、神様という想いで一杯に
なってるんですよ。
あなた方にはそれは分からないけれども、
こっちから見てるとそうなんですよね。
だから、神様の想いで一杯になって、
神様の祈りで一杯になって、神様と
呼びかける声で一杯になってるあなた方を、
本当にいいように、その場その場でね
用いて下さる。
たとえ、祈りの場所にいなくてもね、
職場であっても、煩わしい人間関係の中で
あっても、あなた方がふっと自分を消して
仕事に勤しむ時に、あるいは、人と話を
する時に、その相手だけじゃなくて、
まわりにも神様の光というものは及ぶんですね。
そんなものなんです。
神様というのは何だかんだ言い訳をしませんよ。
予告もしません。
私だって予言をしたことはないですよね。
予言は嫌いだもの。
予言なんかしたら、それに把われちゃって、
五井先生はああ言ったのにならないじゃ
ないか、という想いに把われるでしょ。
だから予言しません。
予言しないということはね、ある意味で
辛いことがあるけれども、でも、本当に
神様の生命にあなた方を導いていくためには、
あなた方が素直で明るい生命であるということを
知らせていくためには、ただただ私は無心に
祈って、あなた方に光を送る。
それだけなんです。
だから、そのことをよく覚えて、祈りに勤しんで
下さい。
昭和63年8月26日
壇上からこうやって見てますとねえ、この
世の中のいろんな有様が分かる訳ですよ。
そして、あなた方の一人一人の気持ちの
動きも分かるわけ。
だから、一人一人の中へ本当は降りていって、
そうして、辛いね苦しいねと言ってあげたい
ですよね。
本当にそうだよね。
そうだけれども、そこにとどまっちゃあ、
肉体人間のこの限界のところだけに
終っちゃうんですね。
我々の生命というのは、何度も言うけれど、
本当は明るいもんだから、そこを見つめた
人間が言うんだから、これは間違いない
ですよ。
私が全部引き受けたんだから、私の方へ
いろんな煩いをみんな投げてくれれば
いいんです。
ただ焦ったら駄目なんだね。
私も本当に気短かで、悟る前も悟った後も
あんまりいい人間ではなかったけどさ、
やっぱり焦るんですよ。
でも、焦ったら本当に神様が光を出しにくく
なるんだよね。
そのことだけを覚えてね、そうして、
すいませんいろいろな想いが出ますけれども、
よろしくお願いしますという気持ちで統一を
して下さいな。
そうすると、こっちがあなた方のそういう
ものは全部分かっているから、悪いようには
しませんよ。
絶対に悪いようにはしませんから、そこの
ところを信じるということね、おもいでは
なくて、信仰というのはね、神様が絶対に
我々を悪いようにはしないんだ。
神様は絶対に私たちを愛して下さるんだ。
たとえ明日死んでも私たちは神様の器なんだ。
そのために私たちはここにいるんだ。
そういう自信をもって祈る。
祈って、動く。
それは言葉だけじゃないんです。
そういうふうに一旦思っちゃえば、あなた方の
体というのは、あなた方が自覚するしないに
関わらず、とに角、祈りで一杯になるんですよ。
世界平和の祈りで一杯になる。
あるいは、神様という想いで一杯に
なってるんですよ。
あなた方にはそれは分からないけれども、
こっちから見てるとそうなんですよね。
だから、神様の想いで一杯になって、
神様の祈りで一杯になって、神様と
呼びかける声で一杯になってるあなた方を、
本当にいいように、その場その場でね
用いて下さる。
たとえ、祈りの場所にいなくてもね、
職場であっても、煩わしい人間関係の中で
あっても、あなた方がふっと自分を消して
仕事に勤しむ時に、あるいは、人と話を
する時に、その相手だけじゃなくて、
まわりにも神様の光というものは及ぶんですね。
そんなものなんです。
神様というのは何だかんだ言い訳をしませんよ。
予告もしません。
私だって予言をしたことはないですよね。
予言は嫌いだもの。
予言なんかしたら、それに把われちゃって、
五井先生はああ言ったのにならないじゃ
ないか、という想いに把われるでしょ。
だから予言しません。
予言しないということはね、ある意味で
辛いことがあるけれども、でも、本当に
神様の生命にあなた方を導いていくためには、
あなた方が素直で明るい生命であるということを
知らせていくためには、ただただ私は無心に
祈って、あなた方に光を送る。
それだけなんです。
だから、そのことをよく覚えて、祈りに勤しんで
下さい。
昭和63年8月26日