(前日からの続き)
向こうへ霊界移行するでしょう。
霊界移行したばかりの人たちというのはね、
やっぱりこっちの世の中の想いとかありますよね。
早く死んじゃって、(残してきた)子どもが
小さいのにとか、ありますでしょ。
そうすると、向こうは素直というのを貫いて
修行するんですよ。
さっき申しましたね。
神様の愛念というものは、生き死にを貫いて、
そういうものをとっ払っちゃってあなた方を
愛してるんだということを申しましたね。
だから、そこのところを深く信じる。
難しいけれども深く信じる。
任せてしまう。
それを向こうへ行ってもやるんです。
座禅したりね、いろいろありますよ。
いろんな修行の仕方があるけれども、
あなた方にもさせたけれどもね。
だけど、それは何のためか。
すっきり自分の生命が神様の方に
抱きとられているということを喜ぶための
修行なんですね。
そうでなきゃあ、苦しむための修行だったら
何もならない。
けれども、向こうへ移行したばかりの
霊(こっちへ来たての霊)たちというのは、
残してきた人のことがやっぱり気になるでしょ。
それはやっぱり、肉体の我といいますかね、
肉体の想いの座に転落しちゃうのね。
でまた、一からやり直す。
そりゃあ厳しいですよ。
この世の中で、子どものためにとか
孫のためにとかね、あるいは、この人の
ためにとかやってる方がよっぽどやりやすい。
そのくらい厳しい。
よく、ひとおもいに向こうへ行ったらと
想うけれども、そうもいかないんですね。
やはり、人間のこういう日々の営みの中で、
いろいろなおもいを経験して、そうしてそれを
乗り越えてね、叫んで呻いて怒って、そういう
いろんなところを通り過ぎて、祈りという
ところへ行くんでしょ。
ですから、その祈りというのはただ祈ればいい
というもんじゃない。
神様へ呼びかける。
こんな私ですけれどもといって呼びかける。
その時に、神様というのは、ああいいよ
といってあなた方に答えて下さる。
(つづく)
向こうへ霊界移行するでしょう。
霊界移行したばかりの人たちというのはね、
やっぱりこっちの世の中の想いとかありますよね。
早く死んじゃって、(残してきた)子どもが
小さいのにとか、ありますでしょ。
そうすると、向こうは素直というのを貫いて
修行するんですよ。
さっき申しましたね。
神様の愛念というものは、生き死にを貫いて、
そういうものをとっ払っちゃってあなた方を
愛してるんだということを申しましたね。
だから、そこのところを深く信じる。
難しいけれども深く信じる。
任せてしまう。
それを向こうへ行ってもやるんです。
座禅したりね、いろいろありますよ。
いろんな修行の仕方があるけれども、
あなた方にもさせたけれどもね。
だけど、それは何のためか。
すっきり自分の生命が神様の方に
抱きとられているということを喜ぶための
修行なんですね。
そうでなきゃあ、苦しむための修行だったら
何もならない。
けれども、向こうへ移行したばかりの
霊(こっちへ来たての霊)たちというのは、
残してきた人のことがやっぱり気になるでしょ。
それはやっぱり、肉体の我といいますかね、
肉体の想いの座に転落しちゃうのね。
でまた、一からやり直す。
そりゃあ厳しいですよ。
この世の中で、子どものためにとか
孫のためにとかね、あるいは、この人の
ためにとかやってる方がよっぽどやりやすい。
そのくらい厳しい。
よく、ひとおもいに向こうへ行ったらと
想うけれども、そうもいかないんですね。
やはり、人間のこういう日々の営みの中で、
いろいろなおもいを経験して、そうしてそれを
乗り越えてね、叫んで呻いて怒って、そういう
いろんなところを通り過ぎて、祈りという
ところへ行くんでしょ。
ですから、その祈りというのはただ祈ればいい
というもんじゃない。
神様へ呼びかける。
こんな私ですけれどもといって呼びかける。
その時に、神様というのは、ああいいよ
といってあなた方に答えて下さる。
(つづく)