わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

人類の進化

2010-06-27 14:09:21 | 癒し
人類の進化というものには

かぎりがありません

純朴に神を求めて

自分自身のすがたを

祈りのうちに

求めてゆくときに

私たちは

自分自身がはめた

自分はこういう人間だ

というたがから

一つ一つ

外されてゆくことになるのであります


本来

いのちというものに区切りがないように

(役目の終了、はじまりはありますが)

自分というもの

人間というものは

宇宙大にもなり

無限にひろがって存在してゆく

ものなのであります


すなわち

自分自身を

すなおにして

人に

神につくして参りますとき

人間というものは

おのずから透明になって

すきとおり

自分もなく人もなく

あるがままのいのちを

楽しむものなのであります


この地上には

さまざまなことがあって

我々はその一つ一つに

とらわれ

よろこび

かなしみ

苦しんでおりますが

我々の本来のいのちとすがたとは

すべてのものから

解き放たれて

ただ光をながし

光を受ける

神の愛を受け

またその愛をながして

限りなき進化

神の愛に溶け込むための進化を

かさねてゆく存在なのでありまして

いのちというものは

光をもととし

そのひかりは

神の愛を光源としておりますから

どこで区切られるという性質の

ものではありません

ただ

朝となり昼に至り夕暮れとなり夜になる

それぞれの時の移りのなかで

我々の心が神をおもい、神をしたう

ことはあります


しかし

それすらも

ただ神の愛のなかに溶けて

光一元の世界

光明体の自分自身へと

かえってゆくのであります

人類の進化は

愛を

尋(と)めつくしてゆく

みずからの

本来の相(すがた)を

祈りのなかに求めてゆく

ときに

明らかになってゆくのであります


光へとながれ

愛へ至り

神我一体となるために

さりげなくいのちの光を

かがやかしてゆくために

私どもは

生きつづけてゆくのであります






無 題

2010-06-26 11:50:40 | 癒し
自己本位

という言葉があります

人間はいざとなったら

自分を助けることだけで精いっぱいだ

というんですね

なるほど

この世に生きて

毎日毎日時間に追われ

自分の心がどこにあるか

それさえ見失ってしまう

肉体人間の世界では

そうかもしれない


しかし

私がここでいう人間は

そんなちゃちなものじゃないんです

死んだらおしまい

なんていうはかないものじゃないんです

自分をしるっていいますけどね

第一自己ってものを

どこまでみなさん突きつめて

毎日生活してますか


自己、自分、私

わたくし自身

このわたくしというものが

何処からきて

何処へ行くのか

というのは

昔々からの大問題ですよね

それは

人が

己れの存在とかいのちについて

考えはじめたときから

ずっとついてまわった問題でしょ

今もそうですよね

自分が何処からきて何処へ帰るんだろうって

ずっと考えますよね

そこで我々は

我々の肉体というものと

死というものに

ぶちあたらないではいられないのです


死というものを考えたときに

はたと

自分のおもいがとまってしまう

とめられてしまうんですね

なぜか

それは

自分というものが

死をむかえた時点で

この世から消えてゆかなくてはならない

という何とも知れないこわさに

ぶちあたるからなんです

自分という人間が消える

いなくなる

これは恐怖ですよね

何ともいえない気持ちになる

それで永遠なるものを求めて

神とか仏とかをみんな呼び求めるわけですが

何でこういう気持ちになるか

というと

肉体を自分自身だ

すなわち

自分自身だと思いちがいをしている

ところから起こってるんですね


実は

肉体というのは

狭いせまい箱なんです

もっと自由自在な自分

というものは

肉体のもっと奥の奥にあるんです

私がいつも申しますように

人間には霊妙な身体が

いくつもいくつもかさなっているんです


人が

現在この地上で生きるために

まとっているのが肉体だということで

あってですね

たまたま、五感でとらえられるのが肉体だ

というだけの話なんです


こんな風にいうと

先生はこの世の生活を軽くみているんじゃあ

ないか

とおもう人も出てきそうだけども

そうではなくってね、そりゃあこの世に

生きてる間、肉体を軽蔑しちゃあ駄目ですよ

何ったってやっぱり地上にいる間は大事に

しなきゃね

それで生きてるんですから


ただ私がいいたいのは

肉体だけが人間で、肉体がある間だけが

人間のいのちじゃないっていうんです

もしそうだったら

神も仏も大自然もこの宇宙も

もろもろのいのちの営みは

とても狭くるしいもろいものになって

しまう

だけどそんなものじゃないんです


真実の人間というのは

この地上にいて、心霊幽界に同時に

存在してるんです

そしてつねに祈っている

光を放っている

神からくる光をながしている

そういうすごい存在なんです

ずっとつらぬいて生きるいのち

なんですね

つまり

我々は神からわかれてきたいのちであり

霊なんです

もとはそうなんです


だから

人間というものを本当に突きつめてゆくと

虚無になるんじゃなくって

自由自在、無碍になるんです

何しろ大元の大愛までさかのぼるんですから

大変なものなんです


こういうことがわかると

もうずっと安心して

世界平和の祈りと消えてゆく姿でね

五井先生の口笛と

柏手にのって

自分自身をつねに祈らせて下さい

役立たせて下さい

と祈ってゆくと

どんどん

自分自身が大きくなって

朗らかになって

守護霊

守護神の守りのもとに

大きく深い働きが

出来てゆくようになるんです


よろしゅうございますか

それではどうもありがとうございました












人間というのは

2010-06-26 00:39:43 | 癒し
人間というのは

ちっぽけなもんじゃない

ということを

しってもらうために

私は来たようなもんです

肉体が亡んでしまえばおわり

なんて

ものじゃない

今迄の

思いグセで

私なんか駄目だ

私なんか駄目だ

って

どんどん

自分を

小さくしていって

所詮

人間なんて

ちっぽけなもんだと

一人合点してしまってるのが

現在の人達です

そうじゃないと

いくらいっても

中々

この自分を

小さくするというクセは

治るもんじゃないんですね

そこで

私は

消えてゆく姿と世界平和の祈り

ということをいってるんです

これは

いっぺん

色んなおもいを

過去世の業があらわれて

消えてゆくんだ

すべて消えてゆく姿なんだ

という風に

徹底して掴まずに

世界平和の祈りのなかで

救世の大光明のなかで

消していただこうと

こういうものなんです

神様というのは

人間の思いちがいを

消そう消そうとしているのに

人間の方で

私は悪いことをした

ああ悪いことをした

私は罪人だ

って思いつづけて

いっかな放そうとしないんだから。

とらわれている

というより

何だか

苦しい自分に

すがりついているって

感じですよね

これでは

自由になっていかないんだ

自由になるってのは

まず自分が自由になっていかなきゃあ

誰一人

自由にすることはできないんです

それには私は駄目、私は悪い

にすがりついてちゃいけない

先ず

ああ人間は光なんだなあ

だけど

今迄の思いグセで

色々とらわれてしまうんだなあ

だけど、それで消えるんだから

とらわれたらすぐ

平和の祈りのなかに入れて

守護霊さん守護神さん

消してくださいっていえば

消して下さるんだなあ

と思いながら平和の祈りを祈ってゆくと

本当に消えるんです

自分が自由にならなきゃ誰一人自由に

できないっていったけど

ずっと祈ってゆくと

みんな守護霊さんが守護神さんが

やってくれてることに気がつきますよね

だけど

自分が自由になる

明るく

呑気に

朗らかになったらなった分だけ

サァーっと光が入るんだし

光を放ってくんだから

それは

みなさんが明るく明るく思って

生きていくってことは

何よりも大事なんです

その上で

ああ私がしてるんじゃないなあ

守護霊さんの方で守護神さんの方で

神様の方でちゃんとみて

やって下さってるんだ

だから安心しながら

祈って

感謝していけばいいんだ

ということになりますとね

もうすなおに

スーっと神様の光が流れてるんです

先生、そこまでいくの

大変ですよ

とみなさんはいうけれどね

その大変だっていう思いも

消えてゆく姿なんだから

そう思いながらでも

世界人類が平和でありますようにって

やっていると

いつの間にか

平和の祈りだけが

みなさんのなかに鳴りひびくように

できてるんです

人間というものはそうできてるんです

親の家に帰って

やすらがない子どもはいませんよね

みんなほっとして

なつかしくなって

甘えたくなるでしょ

それとおんなじですよ

世界平和の祈りっていうのは

五井先生っていうのは

みなさんの親なんだよ

実家なんです

いつかみんな

ここに帰ってくるんです

だから

平和の祈りをするとほっとする

五井先生って呼ぶと

ほっとする

というのはあたりまえなんです

そのとき家に帰ってるんだからね

じゃあ仕事が辛いから仕事しない

ずっと五井先生って呼んでますというのも

困りものですけどね

だけど

それならそれで

私はその人が早く辛くなくなるように

よろこんで仕事ができるように

祈りながら光を送りますよ

ああいつも五井先生と一緒なんだな

私はなんにもできない

ダメな人間だと思ってたけど

世界平和の祈りを祈らせていただけるんだな

それで

大きな光の働きをさせていただいてることに

なるんだな

よし

辛いけど

苦しいけど

先ず自分が楽になりたい・・・・・・

そんな出発だけど

辛い分だけ

世界平和の祈りを祈ってみよう

五井先生って呼んでみよう

とおもって

そういう出発でいいとおもうんです

祈りなんて力んでやるんじゃないし

まして人がみてるからやるもんでもない

セレモニーなんかじゃないわけだから。

はじめは、呟きでいいとおもうんです

そのうち一生懸命になる

何だかいつの間にか祈ってる

ということになる

そうすると

一生懸命が

光を連れてくるんです

具体的にいうと

その人に縁のある人たちの

守護霊さんとか霊人とかが

一緒になって祈ってくれるんです

もともと

世界平和の祈りを思いうかべるだけで

救世の大光明霊団がその人をつつむから

それはものすごい光明体に

なるんだけど

それと一緒に親しい人たちの守護霊さんたちも

くるわけですね

そして

みんなして祈っていくうちに

だんだんみなさんが自分の本心の光と

一緒になっていくんです

ドッキングするんです

そうして

無理なく

いつの間にか明るくかわっていくんです

少々のことではへこたれなくなる

人生の苦労をしながら

あああの人もあの人で

大変だなあ

とおもえるようになるんです

やさしくなっていく

光になっていくっていうのは

そういうことですよね

そうして

大変だなあと思いながら

どうぞあの人の天命が完うされますように

って祈ると

そこでパーっと光がその人にとどくわけです

それは霊団からもいくし守護霊さん(みなさんの)

からもいくし

みなさん自身もいくんです

パっと瞬間に

その人の所に行って

頑張って

といって帰ってくる

それでいて仕事はちゃんとしてるんです

姿が消えるわけでもない

だけど行って帰ってくる

いちいちいわないだけで(私は)

みんな毎日やってるんですよ

人間はそんな風につくられてるんです。

私は本当の人間の姿を説きに

この世に出てきたんです

人間というものが

神様とともに

宇宙の進化と完全平和のために

未来永劫

働きつづけているものなんだ

ということをいうために

私は出てきたんです

宇宙とか進化といっちゃうと

とてつもなく

遠い世界のようだけれども

そうじゃない

みんな

神から分かれた分生命、分霊で

一人一人が宇宙なんです

人間というのはね

みなさんのなかに真善美があるわけ

平和の気があるわけ

愛の気があるわけです

そんなって思う人は

もう一ぺん

自分がどこから出てきたか

考えてみて下さい

お母さんのおなかの中ですね

そのお母さんのおなかに宿る

その生命は

つまりみなさん自身は

一体どこから出てきたんだろう

みなさん自身はどこにいたんだろうってなると

ちょっとこんがらかる人もでてくるんじゃ

ないですか?

どうかな

さあどうでしょう

しばいならさしずめ

サアサアサアってとこですよね

自分ってのを

この五体っていうか五官の世界で

見ている間は混乱があるんですよね

だけど私がさっきもいったように

人間は神の分生命分霊ですからね

もともとをたどってけば光になるわけですよ

宇宙神のみこころの奥まで

たどればいっちゃうんですよね

生命ってものはですから

神から無数に枝分かれしてきてるんです

人間のいのちはね

もとは一つなんですよ

ですから

世界は一家人類は兄弟っての

あれは真理なんですね

本当にそうなんです

もう一ついえば

人間は光その光は神の愛ってことに

なるんですね

この世もそれからあの世

あの世っていうから向こうですよね

霊界も

すべて顕われの世界ですよね

みんな想念の世界です

そのおもいをすなおにして

浄めて世界平和の祈りのなかで

光一元になってくわけですけど

とにかく

すべて今のことがあらわれているわけじゃない

今より前のことがこの世で「現実」に

なってでてくるわけですよ

だから

一番いいのは

すべてを

ああ消えてゆく姿だとおもってね

五井先生を呼んで

平和の祈りをやってれば

自分のなかにながれているのは

光ばかり

神の愛ばかりってことになってくるんです

本当にね

それで

光ってのはさっきもいったように

神から分けられてきたもので

何より人間をつくってるものですからね

だから人間が光るんだな

とおもうことは

そのとき

そこに

あなた方のなかに

真善美という

宇宙そのものが

あらわれてくることになるわけです

そうやって祈ってゆけばゆくほど

肉体という

ちっぽけな器を超えて

直接守護霊守護神につながり

神様につながってるのが

人間なんだということが

わかってくるわけです














人を容れる心

2010-06-25 11:33:32 | 癒し
 人間にとって、また神を説く者にとって、

何が一番大事かと申しますと、それは

人を容れる心であります。

 
 この世には、実にさまざまな人が生きて

おります。価値観も、人生に対するおもいも、

まるで自分とはちがった、正反対の人々が

いるものです。

 そういう人々に出会った時、ただおどろき

つづけるばかりではなく、その人の心のなかに

入って、共鳴板を探してゆくこと。これが

大事なのであります。なぜなら、神様は、

本当に、ひとりひとりを愛し切って、我々の

いのちを、日々瞬々生かしめて下さっているから

なのであります。

 
 世界平和の祈りは、あの人この人という小さな

いれものではなく、世界人類が平和でありますように

というウンと大きないれものなのであります。

 この容れ物は、神様の私どもに対する愛に

他なりません。どうぞ力むことなく、ふんわりと、

世界平和の祈りのなかにとけ込まれて、ただ

世界人類が平和でありますようにと祈ってごらんなさい。


 あの人を愛さなければ、何とかこの人をという

苦しい気持ちは、いつの間にか、守護霊守護神が

消して下さるでしょう。

 そうしてさらに祈っていって下さると、

自分の心が、いつのまにかおおらかに人を容れる

心にかわっていることに、気付かれることだと

おもいます。


 ともあれ、まず、御自分を、祈りのなかに

投げ込んで、毎日祈ってごらんなさい。

あとは神様がそなえて下さると信じることです。


                  合掌

                    昌久




いのり

2010-06-24 12:30:47 | 癒し
陽がのぼり

しずんで

くれてゆく

この

何気ない

一日のなかにも

神の

深い愛と

未来の

果てまでを

みつめられた

計画があるのだ

人には

まだ

知らされないことも

神の智慧の

なかには

無尽蔵に

ある

しかも

それらは

人間の

こころを

ゆたかに

てらして

ゆくもの

ばかりなのだ

安心して

こころを

神に

預け

私と一緒に

祈りの

座に

つこう

ひと日の

なかにすら盛り切れぬ

人への愛を

しめされる

神の

愛の

前に

ぬかづき

いのって

ゆこう