ども、吉井です。
ひさ~しぶりの投稿です。
寒さが感じられるようになるとどうも体調を崩しがちで
風邪をひいたり、
肘や腰を痛めたり、
一日ボ~っとねぶたを眺めていると(暖かい)
肥えたりで、
先月の健診結果は惨憺たるものでした。
なので、これからは日々の(軽~い)運動と
ブログの(気が向けば…ウソです)投稿に精進したいと思います。
毎年この時期になると、
ねぶた下絵コンクールや
開館記念の企画展の準備に取り掛かるのですが
今年の企画展は
ねぶたからちょっと離れて、
凧をテーマにいたします。
開催期間が
お正月には凧揚げて~
なので、
さらには、こんな面白い凧を作ってみんなで凧揚げします。だから…(安直)。
そんな理由だけではないのです。
青森で凧といえば「津軽凧」が全国的に知られていますが、
青森市には「青森凧」というのがあります。
そして、この凧は青森ねぶたと深い結びつきがあります。
明治から大正末期に活躍したねぶた制作者に
柿崎琴章という人物がいます。
東京で歌舞伎の看板画を描いていた琴章が、
青森に戻り手がけたのが凧絵の下絵でした。
当時草履を脱いだ先の店では、
その下絵をもとに凧が販売され
とても人気を呼んだそうです。
明治以降、弘前周辺で作られた「津軽凧」は、
葛飾北斎の錦絵の影響を強く受け
三国志、水滸伝を題材にしたものが多く作られました。
一方青森では、
歌舞伎絵の凧が広まり、
戦前まで、青森の空を舞う凧がよく見かけられたそうです。
その琴章がねぶたの制作を請け負うようになると、
題材を歌舞伎に採り
人気の制作者になっていきました。
現在、ねぶたの題材に歌舞伎ものは定番であり
その魁となった制作者といわれています。
明治45年 柿崎琴章作『曽我五郎と朝比奈三郎 草摺引』
戦後、見かけることのなくなっていた「青森凧」は
現在、保存会、同好会によって
普及、継承されています。
発見!!
まさに、これは青森凧
ここは、某ねぶた師の仕事場…
プロジェクト始動!!
上がる、上がる血圧が…
(ヤバい薬飲むの忘れた
)