終戦の3年後、昭和23年に小学校へ上がった私でした。
当時の記憶は余りないのですが、ただ鮮明に覚えている事があります。
担任の先生は木内先生とおっしゃる男先生でした。
丸い黒の細いフレームの眼鏡をかけていて、痩せた背の高い先生でした。
年格好は子供のことですので分かりませんが、多分50歳に近かったのだろうと
思われます。
小一と小二は同じ先生だった記憶です。
その先生が毎朝授業が始まる前に私の名を呼んで教壇に立たせて歌を歌わせたのです。
毎回同じ歌でした。
歌は「異国の丘」
今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐がすぎりゃ
帰る日も来る 春も来る
そんな理由で「異国の丘」は、忘れたくても忘れられない歌になったのです・・・
今、ロシアの仕掛けた恐ろしい戦争の惨状を毎日見聞きしている中で、
70年前に教壇で独唱していた「異国の丘」を一人、口ずさんでいるのです・・・