(8)多くの出会いーヴェーゲラとブロイニング家の人々
ベートーヴェンが最初の曲を作曲した後、1784年頃14歳の頃、5歳年上の医学生に出会っている。「フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー」と言い、後に医者となりボン大学の医学部教授から学長となる。ベートーヴェンの死後、「ベートーヴェン伝」を出版している。そして、フォン・ブロイニング家の人々を紹介している。ベートーヴェンの生涯の中でも非常に重要な出会い。何故ヴェーゲラーと知り合ったのかは不明ですが、彼は頼もしい兄的存在でした。そして、彼が出入りしてたブロインニング家は、ベートーヴェンにとって、心安らぐ第二の我が家的存在だったかもしれない。
この家の父親は、選帝侯邸参事官だったが、候邸の火災の折に重要書類を火災から守ろうとして殉職しているから、この時、28歳の婦人と4人の子供がいた。
長女・エレオノーレ・・・ほぼ同い年:ピアノを教える
長男・クリストフ・・・ほぼ同い年
次男・シュテファン・・・フランツ・リースにバイオリンを学ぶ(ベートーヴェンも一緒に)
三男・ローレンツ・・・ピアノを教える
ほぼ同い年の子供たちと、それぞれの友達も遊びに来るだろうし、さながら、学校のようだっのかも。夫人は、ベートーヴェンの才能を見抜き、我が子のように接していたらしい。いろんな作法や常識や細かなしつけもしてくれたのでしょう。また、この家には、文学や哲学や詩の本が沢山あり、それらをここで読んで(ゲーテやシラーなど)知識を得たようだ。学校教育を満足に受けてないから、この家での体験は、本当に「家庭」兼「学校」として、彼を育てたといえる。(1787年17歳になる年の母親の死以降は毎日のように来ている。そして、20代まで続く。)
続く