(7)多くの出会いーネーフェ
1781年、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェという人物が宮廷オルガニストとしてボンにやってくる。指揮者、作曲家、劇団の音楽監督等有能な音楽家として活躍していた。伝統的な音楽形式に縛られず、新しい芸術を模索する音楽家のようでした。宮廷オルガニストとしては弟子を育てることになってたらしく、ピアノ、オルガン、作曲の教師もしていた。自己流の作曲をしていたベートーヴェンに大バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を教材として与え、基本から教えていく。この時以降、ベートーヴェンは、自己の音楽を高めていく上で、繰り返しバッハの研究を行っている。ネーフェによって通奏低音の教育と作曲の教育を受け、作曲技法の基礎を習得し、1782年から1783年にかけて、ネーフェの留守中に「オーケストラ付チェンバロ奏者」としての代役(通奏低音付のスコアで即興的に和声をつけてチェンバロを弾きながらオーケストラを指揮する)をこなし、ネーフェはこの少年を高く評価し、「・・・彼がこのまま進歩を続けるならば、必ずや第二のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトになるであろう・・・」と雑誌に書いている。
また、ベートーヴェン最初の作品「ドレスラーの行進曲による九つの変奏曲」の作曲を促し、出版(1782年11歳)させている。さらに、1792年21歳の公費によるウィーン留学もネーフェのおかげなのだ。
*ベートーヴェンは家からライン川と山を眺めてたのかな? 川の対岸の南方にジーベンゲビルゲ山脈がある。
*通奏低音・・・バロック音楽においてチェンバロなどの奏者が低音旋律と和音を示す数字を見て即興的に和音を補いながら伴奏を行う事。
*画面左上の黄色い〇がボンの町
続く