あまり人のことを悪く言ったり、思ったりしたことのなかった私ですが、3年前、ある人たちのことを心から憎みました。しかし、憎めば憎むほど自分の心が苦しく、辛く、何もする気がなくなりました。自分にはね返ってくるんですね!自分があまりにひどくなっていくので、このままではいけないと思い、憎むことを止めました。
宗教じゃないですが、この世の目に見えない大きな力に感謝することにしました。さしずめ、空を見て、感謝することにしました。心に思うだけでなく、声に出して「感謝します」と言います。
「感謝」の「感」は、咸 +心=強いショックで心が動く→感じる(心にずきーんとくる)と いう意味です。そして「謝」は言+ 射=矢を射て弓の緊張がゆるむ→言葉で負担や緊張をとく→あやまる(言葉で緊張をほぐす=緊張状態にある人間関係をほぐす) という意味です。
何かにつけて感謝するのです。細かなことでも一つひとつに丁寧に感謝すると、どんどん明るい方向へ向かっていくような気持ちになります。
もう一つ、「有難う」と思うことにしました。
「有難う」の「有」は、手に肉を抱える絵から→手に物がある という意味です。「難」は、(元の字体)+隹=鳥を火であぶる→火あぶりのようにつらい災害や、やりづらい事→むずかしい という意味です。さらに詳しく分解すると、
=革と火と土で動物の油を火で燃やすさま、あつくなりかわくこと 隹==ずんぐりした鳥→ずっしりして下に落ち着くこと・・・昔は普通にできない祭事で行う難しいことだった。
(平安時代には、普通にないこと、滅多にないこと、珍しく貴重、として使われていました。それが、仏教の精神が入ってから、貴重で得難い仏の慈悲を得ることに感謝の気持ちを言うようになった。あるいは、滅多にない困った状況で人に助けらたことへの気持ちを表すようになった。)
前置きが長くなりましたが、辛いこと、苦しいことを人のせいにしないこと!あるいは、まるで落ち込んで、世界の終わりのように思わないこと。例えば、交通事故が起こりましたが、人身事故はありませんでした。という時。確かに物的損害はあるかもしれませんが、相手も自分も怪我をしなかった。ということならば、怪我がなくて「有難う」と思うのです。随分と楽になりますよ。難しいことに直面しても、少しでも前進すれば、「有難う」と思うのです。嘆(口が熱くなってかわくこと。熱っぽく興奮して言葉にならず舌打ちだけすること。)いても何もならず、苦しいだけです。