私の好きな老子の言葉に「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」があります。
老子はここで、水の性質を人の生き方に結び付けています。
老子の考え方の中で大切な言葉に「柔弱(じゅうじゃく)」があります。
「やわらかくてしなやかな」状態。まさしく「水」の性質です。
どんな内容かみてみましょう。
上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。
[意味]
最も善である聖人のようなあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物を生かし、恵みを与えながら、しかも争うことなく、誰もが皆いやだと思う低いところにしなやかに流れ落ち着いていく。だからあるべき理想の道に近い。
直訳みたいにするとこんな感じですが、もっともっと大きな世界観があるような気がします。
水は上には決して上らない。たちはだかる岩にも争わずしなやかに割れて流れる。すべての生き物が生きていくのに欠かせない水。しかし、絶えず上から下に流れ、決して威張ったり地位を振りかざすこともなく、低い所でよどんでも汚れても最後までその役割をまっとうする。
たまに水の事を考えるのもいいかもしれません。毎日水を飲んで食器を洗い、洗濯してお風呂に入り、歯磨きしてうがいして。どんなに水に助けられていることか!それは水の性質のおかげ。四角い容器には四角く収まり、丸い容器には丸く収まる。決して見返りを求めない。時にお湯になったり氷になったりもする。水蒸気になり雨を降らし、絶えず循環している。
争わないということはどういう事か!
柔軟に対処するとは信念がないという事ではないと気づく!
雨の水滴がたくさん集まり、流れとなり、大河となり、時に岩をも砕く力を持つけど、絶え間ない水の流れは長い年月をかけてその存在を示す道を作る。水はただ高い所から低い所にふらふらと流れているように見えるけど、すべてのものがいつしか水の流れに従っている。