独立した当時の若い私は、一生懸命に打ち込めることを求めていたのだろうと思
う。
そのときに出会ったモータースポーツに、まず魅せられた。
そして、舗装された路面に任意に設定されたコースを競技車両が1台ずつ走行し、
タイムを競うジムカーナを始めた。きっかけは、既にジムカーナを始めていた一
つ違いの兄の影響だった。
ジムカーナを始めると、ドライビングテクニックというのだろうか、アクセル/ブレーキ
/ステアリングを集中力を高めながら自由に操る楽しさにはまった。
はじめは幸せな気分を感じつつ独りでコツコツとでやっていたところ、その姿を
見て一緒にやらないか誘ってきた石田レーシングチームに参加したところ、琵琶
湖スピードランド、鈴鹿サーキットジムカーナコース、名古屋城西自動車学校、岡山
県の中山サーキット、石川大日スキー場を転戦するという本格的な競技参戦と
なった。
そのころ、レース資金を稼ぐためにろくろ職人を目指していた私は、父に紹介さ
れた師匠となる横山広俊氏の「清吉窯」で修業を始めた。
横山広俊氏が得意であった土を無駄遣いしない薄造りの技法は、横山氏の師匠で
あるろくろ成形九谷伝統工芸士の初代木田友次郎氏から横山広俊氏を経て、私が引
き継ぐことができました。
修行中に身に付けたろくろ成形技術もドライビングテクニックとよく似ていて、ろくろ
の回転をコントロールするペダル操作や手先のコントロールは、繊細で微妙なコント
ロールが必要な車のアクセル/ブレーキ/ステアリング操作と同様に緊張感と集
中力を高めなければならないものでした。
この時期、レースやろくろを通じて知り合った多くの人に助けられ、幸いにも多
くの成果を上げることができたわけですが、これらの経験を通じて、「人との出
逢い」に感謝するとともに、今後も「人との出逢い」を大切にして生きてまいりたい
と考えています。