それが、誰についてなのかは
それぞれ考えて下さい。
潔く腹を切る事を推奨しているという事は、微塵も無い。
自分の腹を切りたい人を止めるつもりもない。
しかし、
サムライ魂。サムライ日本とかいう言葉を使う人間は、責任が自分にかかったらそれぐらいの覚悟をもって欲しいですよ。
そうじゃない方は、そういう言い方しないで欲しい。昔の侍に失礼のような気がするから。
………他人に厳しい人間って疎まれる。
この秋の言葉も、そういう意味がありますね!
話し変わって
しんどい君へ
イジメで死を考えてる子供達へ
今日やたらと、集団いじめみたいな動画が流れて
兎に角子供は、全員天使じゃなくて
弱い人間、強い人間がいるという事。他にも集団になったら残酷。これも子供から大人までいる事はいるという事を今更ながら思い知った。
かな?皆も!という日でした。
⇧太字の前の文で死にたい人は止めないみたいな事を書きました。
死にたいという心情。色々な理由があります。
思想的な手段とかね……世の中にはあるわけですよ。
でも、イジメで死ぬ。
それは必ず止めたくなる。
何故か?
イジメの常套句。
「シネ!死んだら?」
ですよ。それで
「死のう」
と考えちゃ駄目!!だ!か!ら!
「お前らに俺(私)の人生を決めさせるわけにはいかねぇ!!ぜってぇ死ぬかよ!ばぁかが!!」
そう思ってくれ!1人でも多くそう強く思ってくれ!頼む!!
と、私は思うわけです。
そんな邪気を持った者の言う通りにするな!!分かりましたか?
これを読んでもしも境界線ギリギリになってる人がいたら、気を鎮めるようにという願いもあり、そして自分自身に対する手綱(たづな←ずは間違えていました。ごめん)の引き締めの気持ちをもって書いた訳ですが
今の環境下で私だけが手綱を引き締め続けるのは難しい。
私以上に子供な大人や、打算的な生き方しかしない本当に心無い人間がいるので(大人やそれを見て真似する子供が信じられない事だが多い)
そうじゃない人もいる。沢山います。
(ここの部分cut
ここで、↑絵の物語。
【いくつかの声】
によって子供が泣く。
⇩
「◑のせい!◐のせい!!」
「きもいーゎ!きしょい」
というカラ騒ぎをしてごまかす人々。
彼等は、さも
「自分のせいじゃないよ!」
と、言いたそうである。
自分こそが正しいと信じたがる人々が多い。
そして大騒ぎをして周りに不安を撒き散らす
と、どうなるか。
また
【不安がる人間が叫び声をあげる】
⇩
「出たぞー!出たぞー!」
「キャー!!!!」
「ギャー!!!」
そして、小さな子供が泣きじゃくる。
延々とカラ騒ぎする人々。
終わらない。
題して
「【声よ・声よ・声が・あいつだ!あいつよ!あいつの声だ!出たー!!はははは!】と叫ぶ凶人集団木霊の町から」
怖ろしいですね。
この文章が狂ってるみたい。
一休み☕🍕
何回かこのページを書き直してるんですが、違いが分かる人いますか?
だんだんホラーじみてきました。
では、5月の言葉をもう一度書き連ねてみます。
【人生は不条理なのだ。
その不条理を乗りこなす事が出来なければ、人は狂う】
【君達自分の中の魔物に
自分を食いつぶされるな 変異するぞ】
【坩堝(るつぼ)の中に入る時、自分の感情の手綱を放さないで下さい。帰れなくなります】
追記・川崎の事件を起こした犯人は、結局帰る道を断っていたのでこんなメッセージ等読んだとしても全く行動のストッパーになるわけがありませんね。
(※最近の私は言霊で世の中が良く変わらないかなという事に何か使命をかけているので、犯人に接触した訳では無いです。
それに、犯人がスマホやパソコンを持たない人間だったらしいがそれがどうした。
それでも言霊は言霊で届くかな?という期待があるわけです
私は。
日本は上代の頃(「万葉集」が作られた頃)から、言霊信仰がある事を知ったので身を㊙㊙に置いてやってるわけで。
勝手にやってるわけで。)
(この部分cut
岩崎は自分の人生に起こった不条理に蝕まれていき、とうとう自分の中の魔物に食いつぶされてしまった、自分をなくしてしまった人間だったなという憐れむ気持ちはあります。
(ここの部分cut
(ここの部分cut
マスコミや人々へ
変な煽りや不安を広めずに。
そして、もう独りぼっちの魔物を作りあげて暴れさせないで下さい。お願いします。
※追記の追記
読んでも読まなくても良いって
合理主義的な考えしかしない人間にとっては
「滅茶苦茶な事言ってるね」
の一言ですね。
合理主義的な事しか受け付けない人間だった私だから、そう言って肩をすくめる人の事を想像できる。
「自分自身に~」の、意味は説明するまでも無いし、もうナザレのイエスが言っている言葉ですね。
曰わく、マグダラのマリアが「罪の女」として町の人々から叱責をうけるような場面で
「罪を犯した事の無い人間だけが、この女に石を投げなさい」
と、イエスが投げた言葉です。
聖書の中ではそれを言われた人々は誰もマリアに何もする事は無かったのですが、実際の話。
実は自分が罪を犯している人間でも、平気で人を非難出来る世の中ですよね。
自分を棚にあげる
です。
でも敢えて言いたかった。
「あの人性格悪そうにみ~え~る~」
って言ってる人間は死ぬまで自分の方が濁った性格だという事に気づかないだろうという気持ちもある。
↑これは、糞リプに対する分かり易く例えた説明ですね。
心が美しい人間、賢者はそんな事、人に言わないですから。
要するに二つの言葉は、同じような意味です。
そして「責任をなすりつけるお前の手をみてみろ、怖ろしく手が汚れているぞ」
これは本当に最低の底な人間が世の中にいるので。
例えば泥棒をしてそれを他人のせいにする。泥棒の泥をなすりつけた訳です。
所が他人に泥をつけたところで、お前の手は泥だらけだと、言いたい。
お前の目で見たらお前の手はきたないまんま、いくら洗い流そうとしても2度とおちる事はないぞ!
泥棒だけの話しじゃない。お前の心は誤魔化す事が出来ない!。
という事ですよ。