利休によって工夫された極小の茶室。
茶室へは、露地を通ってゆきます。
千利休が詠んだ歌、
「露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなぞ散らすらむ」
とあります。
露地は、通路であるとともに、雑念を取り払って茶の湯の世界に誘うための
プロセスの場であると読み解くことができます。
露地は、庭園の一部ですが、その空間を意識して、堪能しつつ、歩を進めます。
茶庭は、雑念を捨てて心を清め、茶の湯の世界へ入るための場でもあるのですね。
そんな露地を通って、茶室に入ると、・・・
どんな感じになるのでしょうか?
ここでは、それまで四畳半茶室で行われていた寄り合い
(堺などの裕福な町衆が行った商談や会合)のための茶の湯とは違い、
高い精神性が磨かれたに違いありません。
初めてにじり口からお茶室へ入ったときのあの感覚・・・。
初めて茶室に入った時、
私は アリス~そう、不思議の国のアリス~ になったような気分でした。
ウサギの穴の中をのぞくと、
そこは、茶室のようだったのでは?
と感じたのです。
小さな躙り口から中をのぞくと薄暗い室内。
そこに体を小さくして入ると、茶室内は、とても広く感じて、
自分はちっちゃくなったように感じられます。
そして、かすかなお香や、お炭の香り~
小さな窓からの自然光は、時間によって変化します。
そんな空間は、私たちを変性意識状態へと誘ってくれるのかもしれません。
夕照庵 躙り口
躙り口 (にじりぐち()
床面からの高さ二尺二寸(約66㎝)、
幅二尺一寸(約63㎝)ほどの小さな茶室の入口で、
外側に片引き戸があり、中からカギがかけられます。
夕照庵 中から見た外の様子~
私たちの 五感は、無意識へ とつながっています。
非言語のコミュニケーションを行うことで、
潜在意識の層にまで深くつながることができるとしたら~
主客が共に深くつながることで、
互いの心の境を越えて、
無限の広がりを持つ無意識へ、
そして、 集合無意識へといざなわれ、
自由な発想の翼は、 広がってゆく~ のです。
もしかしたら、 その意識は、既成概念やさまざまな限界を超えて、
新しいひらめきや発想を呼び起こしたのではないでしょうか。
それはまさしく、現代の私たちが行っている、
カウンセリングや、コーチング****
そういった手法をもうすでに彼らは、行っていたのでは・・・
400年前の、私たちの先祖、・・・・
そんな気がして、ならないのです~
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