WILD THINK

ラテン楽団「Orquesta de WILD THINK」のバンマスが、日々思うことをダブワイズ

ソウルパワー

2011年06月01日 | 音楽考
先日「ソウルパワー」を観た。近所の映画館で。
劇中に通底しているテーマでジェームスブラウン(以下JB)の" I am somebody"って言葉がある。
「おれはれっきとした尊厳ある人間だ」、ならびに高じて「おれは人間様だ」
みたいな意味だと思う。

JBはJBであるからこそ、JBである。

蔑まれ虐げられてきたアメリカ黒人の痛烈な自我の発動。

この映画は1974年にアフリカで、モハメドアリのボクシング世界タイトルマッチと同時に行われた黒人音楽の祭典のドキュメントだそうだが、
この映画に限らず、1970年代という時代は、
人種、場所、表現法問わず、ものすごい自我が噴出した時代だと思う。

公民権運動、ベトナム反戦運動、安保闘争、などの社会運動とシンクロつつ。

この陶酔は時代がそうさせたとしか言いようがないのだけれども、果たして世界はその後、なんか素晴らしい前進があったのかというと、そうでもない。
というか、あれ以来、社会も表現も特に大きな発展はなく、閉塞してしまったように思う。


この日本で庶民レベルで、個や主体に重きがおかれ始めたのは、この頃からではないか。と思う。

そして、それは、
アキバ的なオタク文化とか
クレーマーとかモンスターペアレントとか
ストリートミュージシャンとか
個性を大事にする教育とか
自己実現を目的とした職業観とか
変な形で自我が拡張され、変換されて、今のこの社会にいろんな" I am somebody"が存在しているんだな、と思った。

自我とか自己とかいうのは、人間が生きる上で使う道具のようなもので、
つまるところ建て前のようなもんだ、と思う。
それを本質とか思っている人がたくさんいるから世の中いろいろややこしくなるんだと思う。


「ビートルズのオールニードイズラブが原因で戦争は起こるけど、エルビスのラブミーテンダーが原因で戦争は起きない。」
ある友人のある呑みの席での一言。
いいえて妙。

弁当を食いながら、おかずの脇にあるプラスチックの緑色の葉っぱのようなものを見ながら、ふとJBのことを思い出し、こんなことを思った。

久々に音楽の話



--------【告知】--------
僕がバンマスやってるラテン楽団「オルケスタ デ ワイルドシンク」が、ライブイベントを主催いたします。

●07月17日 日曜日(祝前日)
Wild Think presents 「Yellow Atlantic」
場所:下北沢 440
開演:12:00(昼) / 終演:15:00
お代:1800円(ドリンク別)
チラシ持参で1500円

出演 :
●オルスタ デ ワイルド シンク
●ハリガリアンブル

DJ:
松本卓也(ロソララ/タムタム楽団)
デルクモ(ワイルドシンク)

陽光降り注ぐ下北沢のカフェ「440」にて日曜のお昼をトロピカルに彩ります。
真夏の東京を擬似カリブに誘いますぜ。
みなさま是非お越しをば。


【詳しくはクリック】


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