僕の友人であり、我が楽団の作詞担当でもある紀勢やう子さん(33)。
そして齢70になるその父。
紀勢さんの父親も生まれも育ちも茅場町の生粋の江戸っ子だ。
その父が少年期の頃、日本橋界隈の下町キッズの中で最もホットでスリリングだったゲームが「力士狩り」だ。
「力士狩り」とは文字通り日本橋界隈を闊歩する力士を暴力によってねじ伏せること。
しかし、年端も行かない少年が果たして力士に勝てるのか、、答えは勝てる、だ、しかも必ず、だ。
その必勝法はこうだ。
1.街で見かけた力士に向かって石を投げる
2.力士に向かい「ウドの大木」「与太郎」「丸太ん棒」「水風船」「穀潰し」「コクゾウムシ」など、罵詈雑言を浴びせる。
3.力士、激昂し、追いかける
4.少年全力で逃げる~逃げ切る
5.距離を置き、再度、力士に向かって投石~1.に戻る。
この一連のアクションを繰り返すことにより、力士は疲弊し、狼狽し、少年に屈するのであった。
ネックは逃げ足の早さと、罵詈雑言のセンスだ。
紀勢父はこの悪質なイタズラを通じて、世の中で一番強い格闘技術は、逃げ足が早いことだ、ということを知り、また、腕力的物理的な強さが、他愛ない悪知恵に屈する程、いかに無駄で無意味かということを知った。
そして、闘うことの無意味さを悟ったという。
さらに、人間はその知恵と頓智を持ってすれば、どんな強大な暴力にも屈しない、ということを悟った、という。
紀勢父のこの発想は、かつてのアントニオ猪木vsモハメドアリ戦の、猪木をはるかに凌駕する、今風に言うところの真のバーリトゥーダーであると言えよう。
猪木対アリ戦の様子
しかし、たまに見た目とは裏腹に物凄いダッシュ力とスタミナを持ち合わせた力士も居たらしく、そん時はコテンパンにやられたこともあった、とのこと。
痩せて骨張り、一見かよわそうな古希の紀勢翁だが、どこか威風堂々、泰然自若とした佇まいは、そうした過去の修羅場の経験から醸しだされているのだな、と僕は納得も得心もするのであった。
そして齢70になるその父。
紀勢さんの父親も生まれも育ちも茅場町の生粋の江戸っ子だ。
その父が少年期の頃、日本橋界隈の下町キッズの中で最もホットでスリリングだったゲームが「力士狩り」だ。
「力士狩り」とは文字通り日本橋界隈を闊歩する力士を暴力によってねじ伏せること。
しかし、年端も行かない少年が果たして力士に勝てるのか、、答えは勝てる、だ、しかも必ず、だ。
その必勝法はこうだ。
1.街で見かけた力士に向かって石を投げる
2.力士に向かい「ウドの大木」「与太郎」「丸太ん棒」「水風船」「穀潰し」「コクゾウムシ」など、罵詈雑言を浴びせる。
3.力士、激昂し、追いかける
4.少年全力で逃げる~逃げ切る
5.距離を置き、再度、力士に向かって投石~1.に戻る。
この一連のアクションを繰り返すことにより、力士は疲弊し、狼狽し、少年に屈するのであった。
ネックは逃げ足の早さと、罵詈雑言のセンスだ。
紀勢父はこの悪質なイタズラを通じて、世の中で一番強い格闘技術は、逃げ足が早いことだ、ということを知り、また、腕力的物理的な強さが、他愛ない悪知恵に屈する程、いかに無駄で無意味かということを知った。
そして、闘うことの無意味さを悟ったという。
さらに、人間はその知恵と頓智を持ってすれば、どんな強大な暴力にも屈しない、ということを悟った、という。
紀勢父のこの発想は、かつてのアントニオ猪木vsモハメドアリ戦の、猪木をはるかに凌駕する、今風に言うところの真のバーリトゥーダーであると言えよう。
猪木対アリ戦の様子
しかし、たまに見た目とは裏腹に物凄いダッシュ力とスタミナを持ち合わせた力士も居たらしく、そん時はコテンパンにやられたこともあった、とのこと。
痩せて骨張り、一見かよわそうな古希の紀勢翁だが、どこか威風堂々、泰然自若とした佇まいは、そうした過去の修羅場の経験から醸しだされているのだな、と僕は納得も得心もするのであった。