平安時代も末になってまいりますと、かの空海上人が興した真言密教も円熟を極め、「護摩」と呼ばれる呪術的な儀式をしさえすれば、日照りであらば雨を降らし、洪水あらば水を堰き止め、不漁であらば魚を呼び、怪我や病気はたちまち治り、実らぬはずの恋は実り、受からぬはずの大学は合格し、血糖値は下がり、尿酸値も下がり、世の憂いは瞬時に解決するようになりました。
よって、米は毎年豊作、漁は毎回大漁、農林水産業の生産性は著しく向上し、通商は盛んになり、貴族は栄華を極めました。
しかして、民はというと、毎年デフォルトで豊作豊漁の割りには、生活は苦しいままでした。
というのも、かつて米一俵3800円だった米価が、2倍獲れた年は1900円、3倍獲れた年は1200円、4倍獲れた年は850円と、なぜか獲れた分だけ値が下がるのです。それは米に限らず、人参、大根、椎茸、鯵、鰯、鹿や熊でも同じ理屈でした。
結局、収穫、加工、流通にかかる手間が増える割には、賃金が変わらないという、割に合わぬようになってしまったのです。
この理屈に薄々勘付いた賢明な民もおり、しからば米がたくさん獲れても内緒で半分くらい捨てちゃおうと思いはしましたが、時は平安、食べ物や命を些末に扱うことは、当時の道徳上、決して許される行為ではなく、そういった者は決まって死刑、もしくはよくて島流しの憂き目に合うのです。
こうして密教呪術によって、世の生産性は著しく向上したにも関わらず、民の生活は相変わらず苦しいままなのでした。
八方塞がりの民の怒りは空海上人にぶつけられるようになりました。
かようにして民の呪怨を、お米に宿る神様の数、すなわち88回分、高野山に眠る空海上人にぶつける、という儀式がはじまりました。
やがてより強い呪怨を込めるため、死の国と呼ばれる四国を遍歴しながらこの儀式が行われるようになりました。
これが四国八十八ケ所参りのご由緒であります。
どっとはらい。
余談ではありますが、こうした民の困窮を憂い貴族権力を打倒したのがかの平清盛公であり、武家勢力による権力奪取が下克上の思想を産み、また、こうした民の祈りが一遍、法然、親鸞、栄西、道元といった後の鎌倉新仏教の萌芽となっていったのであります。
そして日の本は今も昔も相も変わらず混沌としておるのです。
よって、米は毎年豊作、漁は毎回大漁、農林水産業の生産性は著しく向上し、通商は盛んになり、貴族は栄華を極めました。
しかして、民はというと、毎年デフォルトで豊作豊漁の割りには、生活は苦しいままでした。
というのも、かつて米一俵3800円だった米価が、2倍獲れた年は1900円、3倍獲れた年は1200円、4倍獲れた年は850円と、なぜか獲れた分だけ値が下がるのです。それは米に限らず、人参、大根、椎茸、鯵、鰯、鹿や熊でも同じ理屈でした。
結局、収穫、加工、流通にかかる手間が増える割には、賃金が変わらないという、割に合わぬようになってしまったのです。
この理屈に薄々勘付いた賢明な民もおり、しからば米がたくさん獲れても内緒で半分くらい捨てちゃおうと思いはしましたが、時は平安、食べ物や命を些末に扱うことは、当時の道徳上、決して許される行為ではなく、そういった者は決まって死刑、もしくはよくて島流しの憂き目に合うのです。
こうして密教呪術によって、世の生産性は著しく向上したにも関わらず、民の生活は相変わらず苦しいままなのでした。
八方塞がりの民の怒りは空海上人にぶつけられるようになりました。
かようにして民の呪怨を、お米に宿る神様の数、すなわち88回分、高野山に眠る空海上人にぶつける、という儀式がはじまりました。
やがてより強い呪怨を込めるため、死の国と呼ばれる四国を遍歴しながらこの儀式が行われるようになりました。
これが四国八十八ケ所参りのご由緒であります。
どっとはらい。
余談ではありますが、こうした民の困窮を憂い貴族権力を打倒したのがかの平清盛公であり、武家勢力による権力奪取が下克上の思想を産み、また、こうした民の祈りが一遍、法然、親鸞、栄西、道元といった後の鎌倉新仏教の萌芽となっていったのであります。
そして日の本は今も昔も相も変わらず混沌としておるのです。