子供の「いじめ」の問題について考えた。
僕は小4まで四国松山で過ごし、その後中3まで東京多摩地区で過ごし、その後松山に戻り高3まで過ごし、また武州多摩に戻り現在に至る。(ちなみに親は典型的な企業戦士で僕が高3の時からは福岡に単身赴任してった。)
多感な少年時代を都市郊外と田舎で過ごした僕の経験から言うと、多摩でも松山でもいじめは日常的に存在したが、内容が明らかに違ってた、と思う。
まず、多摩地区のいじめは弱者や異質なものを徹底的に排除するっつースタイルだった。
僕なんか田舎者だったから転校当初はなまってた。そういうのをイチイチ馬鹿にされる。からかわれるっつうか違うことを否定される。東京の方言(「じゃん」「だべ」とか「ちげー」「やべー」「おっかねー」とか)あると思うのだけれども彼らは東京弁とは言わず、あくまで「標準語」と表現していた。
んで、僕も言葉が「標準化」されるにつれ、いじめの対象ではなくなり、もともと体もでっかかったし、勉強もそこそこできたし、面白おかしいことも言ったりできたので、それなりのポストに収まり、平穏無事に楽しく過ごせるようになった。が、まぁ理由はなんでもいいのだけれども、チャラいだとか、服装がみずぼらしいだとか、ガリ勉だとか、臭いだとか、汚いだとか、そういった他人のちょっとした差異を見つけてはいじめられっ子を選定し、集団で無視したり、過剰に忌み嫌ったりして差異を強調し、排除する。
まとめると、東京のいじめはあるはずのない「標準化」に向けて、あるべきはずの異物を排除する装置だった。
一方松山ではいじめっ子といじめられっ子は、あらかじめ役割や序列がある程度決まっていて、お互いしたたかな契約関係があって、いじめられっ子はいじめっ子の顔を立てておけば自分の立場は保たれ、逆にいじめっ子はいじめられっ子にもろもろの雑務を命じることによって、自分の威厳が保たれるという構造があった。
例えばいじめっ子はいじめられっ子にたばこ買うてこい、ジュース買うてこい、なんか面白いことやれとか要求する。いじめられっ子は、それに従う。なぜかというと、彼は身の程を知っていて、あんじょう言うことを聞いとけば、いじめっ子の顔も立つし、自分も安全であるということが分かっているから。あまり不条理な命令をするといじめっ子のご威光や徳の高さが疑われるので、節度のある威張り方をする。逆に節度のある威張り方ができる権力者をいじめられっ子は選択する。
いじめっ子=ガキ大将、いじめられっ子=お付きの者、みたいな上下関係があった。
田舎のいじめはコミュニティをゆるいヒエラルキーによって平和に運営する装置だった。(詳しくは藤子A不二雄先生の「少年時代」を読まれたし。あそこまで田舎ではないけど、子供同士の関係の雰囲気は似てる。)
弱者も強者もそれなりのしたたかさを持ってうまい具合にやっていく。ちなみにそういったヒエラルキーは祭りだとか部活だとかにある年功序列制度にも見られた。
田舎の子供の上下関係は今思うとなかなか素敵な装置だった。
ちなみに東京の子供のコミュニティには明確な序列や上下関係というものは希薄で、コミュニティの中に居さえすれば平等であったような気がする。ガキ大将キャラみたいのは皆無だったし、序列を決めるための争いは無かった。誰それがキレたとかいう単純な感情的な争いはあったけど。
「平等な関係の中での排除の為のいじめ」と「上下関係の中での序列を決めるためのいじめ」。多分「キレる子供」とか「いじめ」とかが問題になる以前にもこういうことが子供社会の中ではママあったけれども、それが問題にならなかったのは、子供社会が牧歌的で自治的なヒエラルキーの下で運営され、子供自身が問題を解決していたからなのではないだろうか。
僕は小4まで四国松山で過ごし、その後中3まで東京多摩地区で過ごし、その後松山に戻り高3まで過ごし、また武州多摩に戻り現在に至る。(ちなみに親は典型的な企業戦士で僕が高3の時からは福岡に単身赴任してった。)
多感な少年時代を都市郊外と田舎で過ごした僕の経験から言うと、多摩でも松山でもいじめは日常的に存在したが、内容が明らかに違ってた、と思う。
まず、多摩地区のいじめは弱者や異質なものを徹底的に排除するっつースタイルだった。
僕なんか田舎者だったから転校当初はなまってた。そういうのをイチイチ馬鹿にされる。からかわれるっつうか違うことを否定される。東京の方言(「じゃん」「だべ」とか「ちげー」「やべー」「おっかねー」とか)あると思うのだけれども彼らは東京弁とは言わず、あくまで「標準語」と表現していた。
んで、僕も言葉が「標準化」されるにつれ、いじめの対象ではなくなり、もともと体もでっかかったし、勉強もそこそこできたし、面白おかしいことも言ったりできたので、それなりのポストに収まり、平穏無事に楽しく過ごせるようになった。が、まぁ理由はなんでもいいのだけれども、チャラいだとか、服装がみずぼらしいだとか、ガリ勉だとか、臭いだとか、汚いだとか、そういった他人のちょっとした差異を見つけてはいじめられっ子を選定し、集団で無視したり、過剰に忌み嫌ったりして差異を強調し、排除する。
まとめると、東京のいじめはあるはずのない「標準化」に向けて、あるべきはずの異物を排除する装置だった。
一方松山ではいじめっ子といじめられっ子は、あらかじめ役割や序列がある程度決まっていて、お互いしたたかな契約関係があって、いじめられっ子はいじめっ子の顔を立てておけば自分の立場は保たれ、逆にいじめっ子はいじめられっ子にもろもろの雑務を命じることによって、自分の威厳が保たれるという構造があった。
例えばいじめっ子はいじめられっ子にたばこ買うてこい、ジュース買うてこい、なんか面白いことやれとか要求する。いじめられっ子は、それに従う。なぜかというと、彼は身の程を知っていて、あんじょう言うことを聞いとけば、いじめっ子の顔も立つし、自分も安全であるということが分かっているから。あまり不条理な命令をするといじめっ子のご威光や徳の高さが疑われるので、節度のある威張り方をする。逆に節度のある威張り方ができる権力者をいじめられっ子は選択する。
いじめっ子=ガキ大将、いじめられっ子=お付きの者、みたいな上下関係があった。
田舎のいじめはコミュニティをゆるいヒエラルキーによって平和に運営する装置だった。(詳しくは藤子A不二雄先生の「少年時代」を読まれたし。あそこまで田舎ではないけど、子供同士の関係の雰囲気は似てる。)
弱者も強者もそれなりのしたたかさを持ってうまい具合にやっていく。ちなみにそういったヒエラルキーは祭りだとか部活だとかにある年功序列制度にも見られた。
田舎の子供の上下関係は今思うとなかなか素敵な装置だった。
ちなみに東京の子供のコミュニティには明確な序列や上下関係というものは希薄で、コミュニティの中に居さえすれば平等であったような気がする。ガキ大将キャラみたいのは皆無だったし、序列を決めるための争いは無かった。誰それがキレたとかいう単純な感情的な争いはあったけど。
「平等な関係の中での排除の為のいじめ」と「上下関係の中での序列を決めるためのいじめ」。多分「キレる子供」とか「いじめ」とかが問題になる以前にもこういうことが子供社会の中ではママあったけれども、それが問題にならなかったのは、子供社会が牧歌的で自治的なヒエラルキーの下で運営され、子供自身が問題を解決していたからなのではないだろうか。