関東地区のニュース番組で秋の行楽の様子をレポートしていた。
マイクを向けられた幼児が「どうでしたか?」と問われ「きれいかった」と答えていたのが印象的だった。
ネット検索すると「教えて」の回答に「近畿地方の方言です」という薀蓄先生の断案があったけれど、誤答であると思われる。関西弁の「きれいやった」に引きずられた結果だと推察できる。
「きれいかった」と答えていた幼児はアクセントから判断して関東地区の子供だった。
なぜ「きれいかった」という言い方をしてしまったのか。
おそらく「きれい」という形容動詞語幹の音形が形容詞に酷似しているからであり、幼児らしい自然な言い方といえる。もちろん語法上の錯誤であり、大人から「きれいだった、でしょう」と訂正を促されなければ「きれいかった」という言い方は続いていくと思われる。
文法の規範を知識として身につける前に幼児は母語を音形として習得していく、と推察できる一例だった。
マイクを向けられた幼児が「どうでしたか?」と問われ「きれいかった」と答えていたのが印象的だった。
ネット検索すると「教えて」の回答に「近畿地方の方言です」という薀蓄先生の断案があったけれど、誤答であると思われる。関西弁の「きれいやった」に引きずられた結果だと推察できる。
「きれいかった」と答えていた幼児はアクセントから判断して関東地区の子供だった。
なぜ「きれいかった」という言い方をしてしまったのか。
おそらく「きれい」という形容動詞語幹の音形が形容詞に酷似しているからであり、幼児らしい自然な言い方といえる。もちろん語法上の錯誤であり、大人から「きれいだった、でしょう」と訂正を促されなければ「きれいかった」という言い方は続いていくと思われる。
文法の規範を知識として身につける前に幼児は母語を音形として習得していく、と推察できる一例だった。