一人はみんなのために みんなは一人のために。
自分の人生も自分だけの人生じゃなく みんなのために歩んでいるのです。人世とはある意味 みんなの体験情報の収集です。
一人一人の体験がみんなのために役立つのです。
私たちの存在は 個でもあり全体でもある ということのようです。
私たちは存在するだけで価値があるということです。
何かを成し遂げるために生まれてきたのではなく この世でどういうふうに存在するか そのひとつの形を体験するためにやってきているのです。なにかを生産してもしなくても ただ存在するだけでもみんなにとって十分な価値があるというのもそういう理由です。
ある人が人生をすべてベッドの上で過ごしたとしても 人生の過ごし方の貴重な情報の一つとなるのです。よしそれじゃその体験は私がやってみようと志願した魂がそれを体験します。私たちは魂として手分けして集められる限りの幅広い体験情報を集めてみんなの成長に役立てていますから。
これは また資本主義の将来の姿でもあると思います。
いずれお互いが自分の持つものを公平にシェアする世界になるのです。
それでいて個人の自由を犠牲にしていない。
個人は自由にやっているのだが 個どうしのシェアが徹底しているので全体のためになっている。すべての個が成長しているからそれができるのだと思います。
またどんなに少数の意見でも 尊重されますから 多数決は使われなくなります。
ウィナーとルーザーというものがなくなり 誰もがウイン・ウインの関係になる道を模索するようになります。
成長する個人は成長する全体のために。
成長する全体は 成長する個人のために。
(続く)
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