最近ある新聞記事で見付けた記事です。
脳脊髄液減少症という難病を患っておられる重光さんという方が 大きな痛みが絶え間なく続き睡眠も食事もろくにできないという症状の中で 自分と付き合っておられるお話です。ネットで調べてみますと 重光さんはそんな環境の中で両育ワールドというNPOも立ち上げて 知的障害や発達障害者の方々と その関係者の方々が共に学んでいく環境を立ち上げておられるようです。
私たちが難病の人たちや障害の人たちをみたときどう感じるでしょうか。自分でなくてよかったと思うでしょうか? 明日は我が身と思うでしょうか?
私が学んだと思うことは 人生の筋書きは みんなが手分けして選んでいるということです。
この前も申しましたように私たちは魂レベルでは本来たった一つのかたまりしか存在しないのです。ですので各自が体験する人生の筋書きはみんなで手分けして幅広く体験しているのです。
そして他人の人生のように見えていてるものも それは「別の自分」が選んでくれた人生テーマであり 実はみんながシェアするみんなの人生なのです。
自分という個が成長するだけでなく より成長した全体になるのです。つまりそれぞれが個性を持った自分というものが集合して 一つの全体 一つの大きな自分を構成するのです。
そしてまた再び個に分離して みんなで個としての体験を始めることを繰り返すようです。 そういう統合したり分離したりする「循環」というか 寄せては返す波のような活動を通して 常に成長をし続けるようなのです。しかも永遠に。それが私たちの姿であるようです。
ですからいろいろな難しい難病や難しい障害を選んでくれた人たちは 「私たちみんなのために」代表として そうしてくれているともいえるのです。ノーベル賞の受賞ならだれでも喜んで希望するでしょうが このような苦しい難しい難病や障害体験を選ぶ魂は相当な犠牲的精神と勇気がいることでしょう。
各地で起きた地震などの大災害で命を捨て愛する家族と別れることを選んだ人々も 自分だけでなく みんなの学びのためにそういう体験を選んでくれたひとびとです。より広い規模でそれを行ったキリストも同じことをしたのだと考えられます。
私たちはこちらでそういう人と接するとき 心からの尊敬と感謝を
感じると思います。ありがとうと感激することでしょう。
有名な言葉に「一人はみんなのために みんなは一人のために」といいます。私たちは大なり小なりに まさにこれを人生で行っていると思います。
(続く)
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