ハッキリ言って私たちはほとんどどう生きたらいいのかわらずに生きているのがふつうのようです。
周りを見たり人から聞いたり本を読んだりしますが どれがほんとうやらわからないまま その日その日しなければいけないことがあるので それをしながら生きているように思います。自分の中に確信らしいものが育つまで さまよう旅を続けるしかなさそうです。途中で何度も失敗しながら・・・。でも正解がわからないのに失敗がわかるのでしょうか。そうですね。そのとき痛い目にあったから失敗だったと思っているだけです。のちになってあの時の体験を感謝するってことが結構あるじゃないですか。
私たちは今 地球でやっている分の人生のサイクル・ゲームに参加することを決めたからここに居るわけですが この成長サイクルの中の人生を一歩一歩ゴールに向かって歩んでいるようです。時には人よりスローで多めの人生を歩むかもしれません。でも競争ではないのです。競争という概念自体がないのです。
人生ひとつごとに少しづつ確実に成長していくのです。全体のサイクルのゴールに近づいたときには 人間の状態であっても次第に魂にかなり近い状態で存在し それを表現できる状態になるはずです。一口に魂といいますが それは今こちらの世界に居る私たちから見れば神と同じ高さの波動レベルを持った存在ですから 軽々には呼べない?ほどの存在です。でもそれが本当の自分であることがいずれわかることになります。
おとぎ話によくありますが 醜いヒキガエルと一緒になったら それが最後には美しい女神に戻ったのであった などというお話が・・・。私たちがまさにそれです。今は波動が大変低い存在として世を忍ぶ?仮の姿になっていて しかも成長の階段をつつましく少しづつ登っていますが 最後は自分自身が神の存在であることを味わうのですから。
では私たちはその過程において 一つ一つの人生の中で ある程度の成長を遂げていくには どう生きて行けばいいのか という話になると思います。
わたしたちがここで何かを学ぼうとしているってことは なんとなく直感的に感じられるようですが いったい何を学ぼうとしているのでしょう? またそれはなぜですか?
そんな抽象的な話よりも 現実だ実生活だ とにもかくにも自分や家族が ここで生きて行かねば(食っていかねば)ならぬ!っていう考えが邪魔をするため 私たちはわからなくなっています。実はそれが最も現実的で実生活を左右する話なのに・・・。
(続く)
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