そうです。人生には筋書きがあり それは神が書いたもの つまり魂が書いたものなのです。
なーんだつまらん。自分でない誰かが書いたお仕着せの人生を生きてるだけなんて およそ夢がない人生じゃないか とお思いでしょうか?
ではもし人間が自分で自由に書いた筋書きで生きてみたらどうなるのでしょうか。輪廻転生のシステムがとても神が書いたような美しく精緻な完璧なものにはならないのではと思います。
それはこの人生システム(輪廻転生というシステムです)は 神が人間とペアになって共にぴったりと寄り添って 善も悪もあるという相対性の世界を歩んで行くという奇想天外な体験システムなのですが そもそもそれを企画したのは神ですし その体験システムを通して 神が自分自身というものについての認識を深めると同時に人間を助ける。 つまり神が 人間が愛を学び直して成長し直すための手伝いをする という壮大な計画を創り そして実際それを運営しているのですから ・・・。もちろん人間もそのシステム中で神に協力しているので これは神と人間の協力関係 つまり密接なコラボによって成り立っていると言えるでしょう。
したがって その人が人生で何をしたか それ自体は私たち人間が思っているほど重大なことではないのです。なぜならそれは人間が愛を学んで成長して行くためのツールに過ぎないからです。何かの出来事や状況変化を通して私たちが成長して行くことが大切なのです。
その人の人生を見てなにかの偉業を成し遂げたかどうか あるいは 過ちをせず正しく生きたかどうかを評価することに意味はなく その人がどれだけ愛を学び成長したかだけが意味あることなのです。
したがって 例えば人生でどれだけ悪いことをしたか どれだけ過ちを犯したかを問うことも それは単に筋書き通りですのでその人自身とは直接の関係はないのです。
同様にその人がどれだけ善人で清廉潔白な人生を過ごしたかと問うことに あまり意味はないのです。
なお その目的のために 様々な出来事や状況の変化を人間の周りに起こすのは 神つまり魂の役目であることを知ることも大切なのです。
以上です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます