虹のじ ゅもん

当ブログを訪れた人には「夢が叶う」という呪いがかかる。

猫をかわいがったら呪いはさらに強力になるであろう。

とてもおじいさん

2017-02-26 | とことこふたみん
高校時代、私達の卒業とともに定年退職する先生を「とてもおじいさん」だと思っていたけれど、60歳だったのね。
今では60歳が「とてもおじいさん」とは思わないけど、高校生にとっては、「とてもおじいさん」なのかな…

スピッツと共に外へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「とことこふたみん」始めました

2017-02-24 | とことこふたみん
「とことこ」こと絵本作家あびるとしこさんの絵と「ふたみん」こと私の文で、美術館の管理人、小倉さんの呪われた日々をゆるく綴っていきます。

亡霊の呪い
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤さとる氏 逝く

2017-02-20 | その他
コロポックルという言葉を覚えたのは、佐藤さとる氏の「誰も知らない小さな国」だったと思う。
佐藤さとる氏の小人シリーズの後にメアリ・ノートンの「床下のこびとたち」を図書室で見つけた。
子供の頃はこびとの出てくる話をよく書いたが、ある程度の年齢になると、どう描いてもこの二人が確立した世界の借り物になってしまうことに気がついて、書かなくなった。同時に読まなくなった。
「借り物暮らしのアリエッティ」がアニメ化されたけど、子供のころ親しんだ世界が、違ってしまうように思えて見ていない。


しばらく読んでなかったコロポックルシリーズをまた読んでみようかな。
「おばあさんのひこうき」、いいよね。

このブログを読んだ人には「子供のころに読んだ絵本」の呪いをかけてやる。子供のころに読んだ絵本の世界にそっくりな風景に出くわすだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あきらめるな、けど、あきらめも肝心

2017-02-15 | つぶやき
動物番組が好きでよく見るのだが、「ダーウィンが来た」は種の保存の特性上、仕方がないのかもしれないけど、オスとメスがつがいになり、子孫を残し、命をつないでゆくことがメインテーマであることが多い。
強くて美しいオスばかりが勝利するわけでもなく、風がふいちゃったり、崖が崩れちゃったりなどの自然災害の結果、弱かったり小さかったりするオスが偶然に勝利してメスをゲットすることがある。
つまるところ、世の男性達にまだまだあきらめちゃいけないって伝えているのかもしれない。
私のために戦わないで、などとメスは言わなくて、オスが勝手に戦って勝った方がメスの元にやってくるからメスの好みなんて関係ない。
一見メスが選んでいるように見えても、全然そんなことはなく、なんかそんなことが女性達に諦めも大切だよと言っているようでもある。



このブログを読んだ人には「惚れられる」の呪いをかけてやる。誰かに好きだ好きだと追っかけまわされてまんざらでもないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敗北の反対は勝南か?

2017-02-09 | つぶやき
敗北という言葉があるように、北には逃げるという意味があるらしい。
心が弱っている時に南国のぎらぎらした太陽にあたると疲れるから、北の柔らかい日差しに心を温めてもらいたくなる。
心が疲れている時は、元気いっぱいの友達より、ちょっとのんびりした友達とまったり過ごす方が楽になれる。
元気な時は南の強い太陽の下ではじけたくなる。騒ぎたくなる。
そう考えると北には北の良さがあり、南には南の良さがある。

負けの反対は勝ちではないし、立ち向かうの反対は逃げるではない。
その間のグレイゾーンと言うものがある。
バナナはおやつかお弁当か、聞いたら終わり、みたいなこと。

だから、勝南って言葉がない、なんてね。

コウモリでいいんだと思う。何事も灰色の部分があるから。
というわけで、結構コウモリ的な人生を送っている私なのでした。



このブログを読んだ人には「コウモリ」の呪いをかけてやる。コウモリになった夢を見るだろう。…だから?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しなくてもいい苦労

2017-02-01 | つぶやき
二十代の苦労知らずの頃、「しなくてもいい苦労はしない方がいい。いじけるだけだ」と言われたが、時をへた今、それがほめ言葉じゃないことを身に染みて感じている。
困った時、辛い時、思い出したり頼りにしたりするのは、苦労を通り抜けて来た人達だ。
若くして家族をなくしたり、受験や就職に失敗したり、あと一歩のところで辛酸をなめたり、敗北にまみれたりと。
あんなことがあったのに、今はとても元気にやっている、私もきっとなんとかなる、我慢しよう、もう少し、そう思えてくる。

苦労していない人は、頼りにならない、役に立たない。
若い時の苦労は買ってでもしろ、は真実だと思う。
若い時はおきあがる体力もあるし、助けてくれる人もいる。
年を重ねてから初めて苦労にぶちあたるとどうしていいかわからない。
ない体力は知力でカバーするとは言っても難しい。

一生苦労なしで生きて行けるわけではない。
一度や二度は苦境に立たされる。
そんな時、歯を食いしばってのりこえた苦労が役に立つ時が必ずある、と思う。



このブログを読んだ人には「七転び八起き」の呪いをかけてやる。
転んでも、必ず起き上がれるだろう。
その時は欲しかった物よりもっといいものを手にしているだろう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする